その正義、誰目線か分かってる?


正義の名の下に、悪に鉄槌を下す。

なんて言うと、まるで正義が普遍的で完璧なもののように思えちゃうんだけど、いやはや正義ほど曖昧なものはないよね。

僕にとっての正義が許されなくて、僕にとっての悪が正義として信仰されることなんてザラにあるし、

その逆もまた然りの世の中な訳です。

つまり、見方を変えれば正義が悪で、悪は正義だっていうことで、表裏一体とはこのことですよね。

でもさ、実は悪なんてのは、正義があってやっと定義されるものなのかもしれない。



例えば、

子育て中の家庭には、ママとパパと子どもがいてさ、そりゃ各々の立場の正義がある訳で、

それは、ときに一致することもあれば、正反対のベクトルを指すこともあってさ、 

それをひとつひとつ、自分色に染めようと対立しようもんなら、そりゃ大変な労力がかかるわけ。

僕は、そんなことに家族の大切な時間を使ってどうすんのさって思うんですよ。


だってさ、

自分が正しいと認めさせるってことは、相手が間違っていると認めさせることで、そんなの誰でも認めたくないし、嫌に決まってる。

だから精一杯反発するし、喧嘩するし、納得したふりして不機嫌にもなっちゃうよね。


いや、喧嘩するなという訳じゃない。

お互いの正義があるのを分かった上で、どちらの正義を優先するかを考えるべきだと思うんですよ。

だってね、

自分の正義を通すためにどんだけ死力を尽くしても、「どちらが正義か」なんて問の答えは、見方を変えれば変わるわけで、

言わば、どちらも正義な訳ですよ。


だから、どちらの正義を優先するか考える。それが必要だと思うんです。


しつこいですが、

決して喧嘩するなという訳じゃない。


僕らはいつだって、自分から見える正義しか持っていなくて、それは間違っても他の人の正義を否定するものじゃない。

そう言いたいだけなんです。


人間関係なんてのは、衝突があって当たり前かもしれないけれど、まずはそこを認めないと始まらない。

知らんけど(*´∀`*)。



noteでも、もう少し長めの文章を書いてたりしますので、読みに来てくれると嬉しいです(*´∀`*)