職務評価なるシートが定期的に配られる
人間は子どもの頃からなにかとつけて評価を突き付けられ
評価されるという事に慣れすぎてしまっている気がする
私はこの評価には子ども頃から違和感だった
さほど人のことなど見ていないくせに…
評価がよかろうか悪かろうが、私はこのシートをあてにしていない
ようは、誰かのさじ加減で時給が上がるというだけの評価だと思っている
「評価」を辞書で調べると
①品物の価格を定めること。また評定した価格。「―額」
②善悪・美醜・優劣などの価値を判じ定めること。特に、高く価値を定めること。
宝石の場合は宝石商が評価すればいい
芸術の場合は美術商が評価すればいい
では人間の場合は?
誰が?と思う…
この評価の判断を誰が下すのか?
何人で下すのか?数人の場合は多数決なのか?
どれくらいの価値がある人が誰を評価できるのか?
私はいつも思う…
自分ほど自分を客観的に観察しているモノはいない
ここに自信がある以上、人の評価というのは気にもならない
なにか一定のデータに基づいてとか
仕事内容が細かくデータ化されているとか
比べる基準が定まっていれば少しは分かるけれど
自分が誰かを評価できる人間だとは思いたくもない
吉田松陰先生だって塾生を簡単に評価したりしなかったのではないか
評価というより、個々の本質を見抜く観察をしていたのではないか
それをするのはまず内観が必要になる
自分自身をも客観的に捉え、偏らない観方ができなければならない
自分で自分の観察もしていない人が、自分以外の誰かを評価するというのはおかしな話だと思う