人に対しイラッとした時の対処法 | 無限の毎日

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佳奈の日々の気づきブログ

人に対してムカつくとかイラつくという感情は多かれ少なかれ誰しも感じたことがあると思う。

 

私は思い返せば、たぶん幼稚園から…学校、職場で自分がその集団の中にいるという感覚を持っていなかったと思う。

常に客観的で、べつの場所から見ているような感覚だったし、そういう視線を感じていた。

表情を変えない目、そういう視線を感じていたせいで、その視線と似た感覚の目を見た時ドキッとさえしたことがあった。

それが誰の目だったかは覚えていないけど。

 

表情を変えない視線により、私はいつも自分やその周囲を取り巻く人たちの感情を観察していたと思う。

 

職場の楽しみは、今自分がやるべきことに夢中になれることと、周囲を観察できること。

私は今の職場で自分の地位を上げたいとかやりがいを見つけたいと思ったことはほとんどない。

常にどこか他人事、それなのに夢中で奮闘し、焦ったり、落胆したり、喜んだり、している自分が面白かったりする(^^)

その中でも、自分がイラッとする感覚というのは実に興味深いと思う。

 

私が一番イラッとすることは…

私が誰かに言われたことをそのまま実行し、それが間違いだった時、私に伝えた誰かは「ああ、そういう意味だったのね、それならそれはそうなるに決まってる」みたいに、自分が伝えたことが違った時、自分の間違いを人に押し付けること。

本当は自分は分かっていたみたいな発言をする、これをする人がとても多い。

これはそもそもがプライドから発せられる言葉ということがわかるので、イラッとしながらも、めんどくさいので適当にバカなふりして対処するけれど…。

こういうことが職場ではすごく多いけれど、瞬時にイラッとする自分もまた実に興味深い。

あなたがそうやれって言ったじゃないですか!なんて戦うような不毛な戦争は起こさないけれど、イラッとする感情は、私自身も相手のプライドを理解しているということで、つまり自分の中にもそのプライドが存在しているということになる。

 

自分の中にあるプライドを完全に消去してしまえば、相手の気持ちは理解できないということになる。

 

だから、私はプライドを持ちながら、そのプライドから自分が物事を発しないように注意深く自分の思考を見守る必要がある。

 

なぜなら、プライドから私が相手に言葉を発すれば、自分がされたらイラッとすることを自分もやってしまうようになるから。

 

高校生の頃、私は集団生活の中でとても後悔するようなことをした。

 

それは高校生にありがちな女子同士の仲間意識とか派閥なんかの問題だったけれど、自分はもう集団意識には属さないと固く決意するほど人の心を傷つけたことがある。

 

私は悪意を持ってやったことではなかったけれど、それでも後悔を持ち続ける以上、もう絶対に同じことを人にしないでいられる出来事であったことに間違いはない。

 

事故や間違いは、いくら後悔しても繰り返してしまう可能性がある。

 

でも、私がしたことは後悔さえ持ち続ければ二度としないでいられるようなことだった。

 

自分の中に感情の元となる基盤は持っていなければ、感情の世界で生きる中で調和を保つことは難しい。

 

感情というのは実に興味深い…。

 

最後にイラッとした時の私の対処法は…

 

イラッとする気持ちがどこからやってくるかを気づかせてくれてありがとう…と思うだけ。