大掃除の時期なので持ち物の片付けをしているのですが、そういえばよく聞く断捨離って本来どういう意味かなと思いました。
不要な物の購入を控えて不要なものを処分する、と思っていたけれど、断、捨、離のそれぞれ三つの意味があるはずですよね。
Wikipediaによると:
「断捨離」のそれぞれの文字には、ヨーガの行法(ぎょうほう)である断行(だんぎょう)・捨行(しゃぎょう)・離行(りぎょう)に対応し、
- 断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
- 捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
- 離:物への執着から離れる。
という意味がある。
すなわち「断捨離」とは、不要な物を「断ち」「捨て」、物への執着から「離れる」ことにより、「もったいない」という固定観念に凝り固まってしまった心を開放し、身軽で快適な生活と人生を手に入れようとする思想である。ヨーガの行法が元になっているため、単なる片付けとは異なるものとされている。
、、、というらしい。
まあ大方意味はあっていたけれど、「もったいない」という固定観念を手放して軽やかに生きる、ってところが断捨離する上で大切なんですね。
確かに、もったいない文化は日本人にとっては美徳。最近よく耳にするSDGs関連の活動でも、不用品をゴミにせずにリサイクルするような活動はもったいない精神がベースとなっているものでしょう。かくいう日本人の私も片付けしていて迷う時は大抵、うーん、捨てるのはもったいないかな、ってところです。
この「もったいない」という言葉の意味も仏教用語に由来していて、「物の持つ本来の価値を無くしてしまうのが惜しい」という意味があるらしいです。
そう聞くと、もったいない、の印象が変わったかも。 捨てなくても、生かせてなかったらもうすでに「もったいない」になっちゃってるってことだ。
私はあまりに物がいっぱいあると見るだけで動けなってしまうので、ちょくちょく持ち物をチェックします。なので、物を手放すのは苦手ではないし、30年アメリカに住んでる割には物が少ない方、って思っていました。
が、先日の改築工事の時に自分の持ち物を全部見ることになって、いやいや、物を手放すの得意でもないでしょーって思いました こんまりさんも言ってましたが、全部見る、って大切ですね。
年末の片付けは、物の持つ本来の価値を生かせているかどうか、考えてみようと思いました。
さてそんな今日の片付けは、溜めてしまったワインコルクの整理。
っていうか、もうそれ既にゴミでしょ!
って思いましたね? まあまあちょっと聞いてくださいな。
以前ワインコルクが必要なプロジェクトがあって、その時からゴミ袋に惰性で集めてしまっていて、それが20年前なんで、ゴミ袋2袋ぐらいになってしまいまして。改築工事の前に私がジップロックバッグ2袋まで減らして、今回はコレ、もう要らないかなーとも思ったのですが、ワインは夫と私の共通の趣味なので、飲んだワインの思い出なんかもあり、それが思い出せるものは残してみよう、って思って一緒に一個ずつ見ていきました。
いやー、何が印象的だったかというと、娘が生まれる前は良いワイン飲んでたなーって ここ十数年、お目にかかってないコルクがたくさん入ってて楽しかった。
Opus Oneのコルクが4つほど入ってましたが、夫すでに判別できず。 4つ全部、これどこのワイナリー?って聞いてきてわざとボケてんのかなって思ったほど。
それで思い出したのですが、私はRobertMondaviが株式を上場していた頃株主でした。ほんの数株
最後の株主総会に行き、その後のパーティでカリフォルニアワインの父、ロバートモンダヴィが会場に入ってきた時にたまたまお目にかかりました(目を合わせて挨拶しただけだけど)。人の良さそうなおじいちゃま、という感じでした。そして会場にはすごいご馳走で、すごく楽しかった(美味しかった)です。
記憶の片隅に眠っていたそんなキラキラした出来事をコルクのゴミの中から思い出したある年末の日曜日でした。
大谷の犬の名前は元はDecoyらしいですね。