魂が覚醒していないと、振り回される。

 

子供の頃、頭を打った。

遊んでいた時なのかな。

 

多分、それが原因で、ぼーっとする子になった。

 

その頭の損傷部分は放置され、そこに、私をめぐる争いの物語が乗った。

 

乗った物語は解決するまで、何度も目の前の事象として現される。

 

損傷部分から、いつも二つ、三つに分かれる道があって、

道を選ぶ時に、どの道へも進めるように話が進んで、

判断に苦慮する。

 

一つの道へ進もうとすると、もう一つの道が「こっちだ」と手を引っ張る。

 

一つの道で築いた知識が、次の瞬間、もう一つの道に進んだことによって

流れ落ちる。

 

おかしい。

どれも同時並行で進められるはずだ。

 

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そう思っていた。

 

歩けない私の原因の根っこにあった脳の損傷が、

情報化されたことで解決に向かい、

他者の影響が排除されて、脳が整えられてくる。

 

今、いくつもに分散していた一つの道が放棄されつつある。

 

You tubeのサムネイルが響く。

「壮大なハシゴ外し」

 

内容は、南海トラフ地震が来ると言って警戒を呼び掛けるYou tuberに対して、

そんな兆候はないよと注意する気象庁についての動画だが、

 

私はいつも、小宇宙の物語に合わた読み方をするので、

一つの物語が、ありきで進んでいた物語が放棄されつつあることに対する表現として

壮大なハシゴ外しと読めた。

 

その気になって進めば進めた道だが、それをさせなくしている諸条件があり、

それを超えて進むんだという見方と、その諸条件によって、別の道が開くという考え方と、

いずれにしても、放棄したのは私なので、それを見ていた存在が言った。

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操り人形が意志をもって生きるようになるまでの物語を与えられたんだね。