昨日は、30年ぶりに生駒の石切神社へお参りしました。

 

確か初めて参拝したのは石切(いしきり)に住む友人を訪ねて

友人の弟と3人でお参りしたのが初めてでした。

 

今その時の記憶を手繰り寄せているのか、

作っているかもしれないけれども、

仏教に慣れ親しんでいた私には異質で、

それでいて今でこそ分かる日本神話のおおらかな世界を感じたように記憶しています。

多分ね。

 

30年前にもしやこの石きり神社で、

意思切りをしてしまったのではないかと思い、

確認するために出向いたのでした。

 

①終わったはずの古事記に出てくる神々の社にも、

かすかに光が残っていて、

それがなぜか希望に思えたり・・・。

 

 

 

画像は、石切から生駒経由で宝山寺にケーブルで向かう途中、

遠回りして立ち寄った

キナチックの森というカフェで頂いたカフェオレとカヌレ、柚子ゼリー、ブドウの品種は不明。

 

この日は蒸し暑く、頭からバケツの水を被ったようにびしょ濡れで、

ここが唯一ほっと息が抜ける場所でした。

 

 

②話は、石切参拝の続き・・・。

 

参道から本殿へ向かう経路とは反対側に、

宗教団体が建てた大きな鳥居があって、

それも見ておこうかと敷地の外に出たら、

 

先月のセミナー翌日のミーティングで

「君は〇〇と脳の構造が似てる!」と

私を指さした氏と同じ顔とポーズをした剣を持った銅像があって

その銅像が指差す方向に黒い巨岩があり、

なぜか周りを一周して岩に手を当てると、

私が媒体になって岩の中をスキャンし、

何があるのかを探査していた。

 

ここでも長い時間手を当てていて、

何かを感じたけれども私の解析能力では分析できなかったので、

今度氏にお会いする時か、

何かの機会に表に出るのか、

そんないつもの事になると思います。

 

その後、上ノ社に行き、吹き出る汗を拭う事もせず長時間、手を合わせていると、

色々なイメージが散文的に見えては消え、

右肩の詰まりが取れて、

記憶力も回復しているのが感じられ、

やっとこの世に戻ってきたような感覚になりました。

 

30年前、呼ばれてもいないのに、神社に行ったおかげで

意思切りして、ふわふわした人になったのか、

神戸の地震と同時期でしたので、

脳の回路が切れた時期とも重なり、

変化が起きる時は複数の事象が重なるので、

どれが原因かは特定できないのが常だけど、

さまよう扉を開けた一つの要因だった事が

今回の参拝で腑に落ちる結果となりました。

 

あまり人に不満を言う事のなかった私が、

この時一緒に行った友人に対して、後日、初めて不満をぶつけたのが文句たらたらの始まりで、

生駒の不満の多い神々の影響を受けていたんだろうというつじつま合わせをして、

これで少しはまともな人になれたんじゃなかろうかと思います。

 

神社には、呼ばれてから行くようにしましょう。

 

画像は、石切神社の後にお参りした宝山寺の本殿から眼下の生駒中心地を写したもの。

石切神社で写メを撮ろうと思わなかったので、

思い出したように撮ったこの画像でこの日の雰囲気だけでも残しておきましょう。