1528回目: 「ねばり強く考え、 最後まで元気にがんばる子」がよいとは限らない | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

先日の学校公開(授業参観)で
教室に貼ってあった学年目標。

「ねばり強く考え、
最後まで元気にがんばる子」

「思いやりの心で、
相手の気持ちを考えられる子」

と書かれていました。

これはこれで素晴らしいと
思いながら、

「最後まで元気に頑張る」は
大人でもできないかもなぁと
思いましたし、

最後まで頑張ろうとすることで
倒れてしまっては元も子もない。

これがいつ制定されたものか
わかりませんが、

いまの時代的には

「ねばり強く考え、
元気にがんばれる子。
限界になる前に助けを
求められる子。」

あたりの方がよさそうな
気がしてしまいました。

そしてもう一つの
「思いやりの心で、
相手の気持ちを考えられる子」は

「思いやりの心で
相手の気持ちを考えつつ、

相手に自分の気持ちが伝わるように
表明できる子」の方が
よさそうな気がします。

いずれも語呂はイマイチですが。

他人に自分の気持ちを察して
もらおうと待っているのは
よくないと思います。

自分の気持ちを伝えようと
していないのに
「なんでわかってくれないの!」
というのは傲慢だとすら思います。

「思いやりの心で、
相手の気持ちを考えられる子」
には、

そのようなニュアンスはない
のでしょうが、

相手の気持ちを察しようとする前に
自分の気持ちを表明しようと
することの方が大切なのでは。

完全にいちゃもんだという
認識はしつつ、

他者を優先することで
自分を犠牲にするような
ことになるのは違う。

その標語をどのくらい
気にしている子どもたちが
いるのか分かりませんが

そういう言葉は
「正しいもの」として
認識されることが多いのでは
ないかと思います。

「ねばり強く考え、
最後まで元気にがんばる子」

「思いやりの心で、
相手の気持ちを考えられる子」

このどちらも、できる子にとっては
素晴らしいことだと思いますが、

場合によっては、辛い言葉に
なってしまう可能性もあるかも
しれません。

素晴らしく、正しいと思われる
言葉が、ある人にとっては
追い込むものになるかもしれない。

自分が使う言葉も、
気を付けたいと思いました。


【今日のまとめ】

素晴らしく、正しいと思われる
言葉が、ある人にとっては
追い込むものになるかもしれない。