自分にとってネガティブな出来事は
できるだけ早く昇華させてしまいたい
と思っています。
そのために、私がしているのが
こうして書くことです。
ただし、この作業には多少の
勇気がいります。
文章に書くためには、
その出来事を思い出さな
ければいけません。
しかもそれなりに詳細に。
話をするのであれば
「あっ、そういえば」と
話が前後しても大丈夫な
ところもありますが、
文章の場合には、そうはいきません。
その分、書こうとする出来事や
自分の感情を詳細になぞって
思い出さなければならない。
この作業は、それなりに辛いもの
でもあったりします。
でもそれを乗り越えることで、
ネガティブな出来事を経験に
変えていくことができたりする。
一刻でも早く気持ちを切り
替えたくて、この怖さに
飛び込むようにしています。
しかし一方で、衝撃の大きさによっては
直後に飛び込めないことがあるのも
わかっています。
ネガティブな出来事から
「よかった」を探す陽転思考を
提唱している和田裕美さんも、
「陽転できないこともある」
とおっしゃっていました。
(最近はお話を伺っていないので
アップデートされていたら
ごめんなさい)
しかも、インパクトの大きさは
出来事によって決まるのではなく
受け手によって決まるのです。
同じ事実に直面したとしても、
大したことないと思う人もあれば
立ち直れるとは思えないところまで
感じる方もあるでしょう。
そんな、当たり前すぎる事実を、
忘れかけてしまっていました。
それを思い出させてくれたのは
昨日noteに投稿した方のコメントです。
過去のキャリアについて伺ったお話を
noteに出す前に確認していただこうと
したところ、
今は読まないでおくという方が
おられました。
いただいた言葉そのままでは
ありませんが、前に進みだしたところ、
先を向いていたい、というような
ことでした。
時が解決するとか、時が癒すという
言葉があります。
私が、文章に書くことで気持ちを
切り替えていこうとしているのは
患部が痛むけれども、強烈な薬の
力で治癒させようというような
ものかもしれません。
一方で、自然とかさぶたになって
治るのを待つ方法だってあるのです。
どちらがよいということでは
ありません。
人によっても違うでしょうし、
また同じ人であっても、状況に
よってどちらがよいかは異なる
でしょう。
自分はたまたま「荒療治」に
耐えられるレベルのことしか
経験していないということ
なのです。
それは、ラッキーなことでも
あります。
でも、自分もその対応ができない
ことが、いつか起こるかも
しれないし
そもそもそのやり方が合わない
方もいるのです。
恐る恐る当ててみるということを
忘れていました。
今日、新たなご縁をいただく
機会がありました。
この反省をもって、おずおずと
当てていくようにしたいと
思います。
【今日のまとめ】
傷の癒し方はそれぞれ。
その瞬間の痛みに耐えて
強い薬に頼るもあり、
多少時間がかかっても
自然治癒を待つのもあり。