自分の基準も上がっていく。
たとえば、ホテルやレストランで
素晴らしいサービスを受けたときに
「こんなサービスがあるのか!!!」と驚き
それまで自分の中にあった
サービスの基準が上がっていくようなこと
あると思います。
一度高い感動レベルのものを
味わってしまうと、
それまでに感動していたものに対して
感動がうすれてしまいます。
これば、常に最大限の感動のサービスを
あらゆるところで期待する
ということではなく、
単純に自分の感動レベルの基準が
あがってしまったということを
言っています。
基準について考えたきっかけは、
以前受けたサービスについて
「どういうところに感動したか」
というアンケートを受けたときに、
答えられなかったことです。
思い出すことはたくさんあります。
あれも、これも素晴らしかったし
確かに当時感動したのは覚えています。
ですが、それ以降、今に至るまでに
さらなる感動体験が多数あったことで
なんだか書けなくなってしまったのです。
繰り返しますが
そのサービスは素晴らしいものですし
そのレベルの感動を自分が誰かに
与えることができているわけでは
まったくありません。
基準について考えるきっかけの話は、
実はレベルの話ではなく
ポイントの話だったのかもしれません。
何に感動するかは、
人によって違います。
かゆい所に手が届く、という
表現がありますが
かゆい所は人によって異なります。
アンケートに答えることができなかった
ところが提供してくれているサービスよりも、
その後に受けたサービスの方が
私のかゆい所をかいてくれた
ということだと気付きました。
ちょっとスッキリしたところで、
基準の高さの話に戻します。
高い基準を知ることは、
自分が相手に対して期待する
ものではなく、
(もちろんそれなりの対価を
お支払いした場合には、
期待させてもらいたいですが)
自分が提供する側として
そういった相手を感動させる
サービスを提供できているいかどうかを
自省する機会として捉えています。
どういう基準を持った場にいるか、
これは本当に大切だと思います。
中学、高校時代の夏休みに、
7月中に宿題を終わらせて
8月始めに友人と集まって
分からないところを教え合う、
ということをしていました。
読書感想文とかは別として、
英語や数学です。
誰でもそう思うものかも知れませんが、
宿題の量もそこそこ多かったです。
それを7月中に終わらせようというのですから
なかなかハードな会? でした。
しかし、その基準のおかげで
なんとか宿題を終わらせられた上に
分からないところは
教えてもらえたりするのですから
一人でぼちぼちやっているよりは
あっとうてきに効率的、効果的
だったと思います。
本当に感謝しかありません。
自分ひとりでは、
自分以上の基準を持つことは
なかなか難しいと思います。
そもそも、どんな基準があるのかが
分からないですし。
まずは上の基準を知ること。
さらにその基準が当たり前である
場にいること。
自分より上の基準についていくのは
簡単ではありません。
ひとりだけならサボり放題です。
だから、8月頭に宿題を確認する会のように
サボれない場を持ちたいと思うのです。
自分はいまどの基準で生きているか。
高い基準を見ることができているか。
ついて行こうとしているか。
つい楽な方に行ってしまいがちなので
注意しながら、
日々過ごしていきたいと思います。
【今日のまとめ】
自分はいまどの基準で生きているか。
高い基準を見ることができているか。
ついて行こうとしているか。