667回目:その言葉は、認識や行動を変えてくれるか? | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

このブログでも

時々書いている

陽転思考。

 

ネガティブな出来事が

あったときに

落ち込んでも、

グチを言っても、

怒ってもいい

でもいつまでも
ネガティブな気持ちの
ままでいないで、

よかった事を一つでも
見つけて

気持ちを切り替えて
前に進んでいこう

という考え方です。

何事にも表と裏があって
良い面も悪い面もある。

起こってしまった事実は
変えることはできないから
良い面に目を向けよう
 

という

事実をどう解釈するか

ということなのですが、

解釈力と言うよりは
物語を編む、
と言い換えた方が

よりスムーズに
良い面を見つけることが
できるような

気がしています。


以前私が厳しい上司の
もとにいた時に

噂に聞いていたような
辛い思いをしなかったのは

目の前の出来事の

解釈を変えようと

していたのではなく、


物語を編もうとしていた
からではないかと
思うのです。

確かに事実だけを見れば
それなりに大変な状況に
あったかもしれません。

ですがそんな時にも、
ヒーロー物語よろしく

厳しい状況の中で
頑張っている私が
ここからどう
逆転していくのか?
こうご期待!

のようなことを
妄想していました。

過去に噂を聞いていた
辛いと思ったという
人の中には、

同じ状況でも
編んでいた物語が

ヒーロー物語ではなく
悲劇のヒロインの
ストーリーだったのかも
知れないと

ちょっと思ったりもします。

もちろんそれぞれ
状況は全く同じでは
ありませんから、

あくまで推測でしか
ないのですが

そういった可能性も
なかったとは

言いきれないと
思うのです。


このどちらかの物語を
選ぶかは、
個人の好みによりますが

「あぁ、なんで私は
こんなに辛い目に
合わなくては
いけないの?」

という
悲劇のヒロインよりは、

「今は不遇の環境にいるが、
いつか見返してやる!」

という
ヒーローの方が
いいかなと思って

私はヒーロー物語を
選んだのでした。


念のためですが

ヒロインものにも
自分の置かれた環境と戦って
自ら切り開いていく
ストーリーがありますし、

悲劇的なストーリーでも
物語として素晴らしい
ものもあって、

いずれをも
否定しているわけでは
ありません。

あくまでも、
なんとなくの
イメージです。


話を元に戻します。

自分の状況が
望むようなもの

ではない時に

視点を変えてみればいいとか
解釈を変えればいい
と言われますが、

この言葉では
飛躍を生み出しにくい
ように思います。


自分の体感ですが、
視点や解釈を変えようと
する時には

一旦自分の感情を脇に置いて
客観的にその状況を
捉えようとしています。

しかし、ネガティブな状況に
ある時には
感情を脇に置くということが
なかなか難しい。


またたとえそれが
できたとしても、

感情を脇に置いて

いるために

こうだから、
こうだから、
こうなる

というような
論理的なストーリー
になってしまって、

感情を揺さぶる
ことができず、

本気で「いいね!」と
思えるものには
なかったりするような
気もします。


それに対して
物語を編むと言うと、

そもそも「物語」ですから
なんでもアリなわけです。

これまた自分の
イメージですが、

解釈や視点は
ノンフィクションの
ストーリーにしか
ならないけれども、

物語はフィクションで
いいので
もっと自由に発想できる
気がします。

そうでなければ、
厳しい上司の元で

「こうご期待!」
などと
考えていなかったのでは
ないかと思います。


視点、解釈を変えることも
物語を編むことも

同じことを言っていますし、
同じことを目指しています。

ですが、
どちらの言葉を
持っているかによって

アウトプットに
差が出てくるのです。

まさに質問力が重要だと
実感させられます。


この「質問力」という
言葉も、

それだけを聞くと
誰かに質問する時の
ことをイメージして
しまいがちですが、

必ずしも
相手が他人でもなければ、
質問形式の言葉ということ
でもないのです。

私の中では、
質問力とは、

自他を問わず、
それぞれが持つ認識や

そこから生まれる行動を

変えるために有益な言葉を持っていて、
かつそれを使いこなすことが
できる力

です。

言葉を知っているだけでは
足りなくて
それを必要な場面で
瞬時に思い出して
使うことができる
必要があります。

私たちは
知っている言葉は
たくさんあっても、

使いこなせている
言葉は
それほどないかもしれません。


読んだり聞いたりすれば
分かる英単語は
たくさんあっても

いざ自分が話したり
書いたりする時には
出てこない

というような
イメージです。


同じことを言っているし
どちらの言葉でも
伝わるものであっても、

言葉がもっている
ニュアンスやイメージによって
伝わってくるものが
変わります。


「視点、解釈を変える」
と言われると
無意識のうちに
ノンフィクションの
ストーリーを思い浮かべ

「物語を編む」というと
フィクションを
生み出そうとする。

これは私の勝手な
解釈かもしれませんが、

言葉を変えたことで
無意識の制限を
取っ払うことが
できたのです。

 

 

また、

「質問力」についての

説明を

 

相手に対して

投げかける質問とするか

 

自他を問わず、
それぞれが持つ認識や

そこから生まれる行動を

変えるために

有益な言葉を持っていて、
かつそれを使いこなすことが
できる力


とするかによって

「質問力」の概念が

変わることも

 

使う言葉で

イメージが変わることの

ひとつの例であると

思います。



そんなことを考えると、


言葉を使う時に
ただ理解できればよいとか
伝わればよいという
ところを目指すのではなく

概念やイメージを変える
というところを
目指していきたいと
思うのです。

そのために、
様々な良質な言葉を
求めて、

ただ知って満足
するのではなく
それらを自分が
使いこなせるように

日々の言葉との
出会いを
大切にしていきたいと
思います。


【今日のまとめ】

 

認識や行動を

変えられるような

言葉を使いこなせているか?