355回目:知らないことは想像できない。想像できないということは、知らないということ。 | 毎日何かを見つけたい!転んでもタダでは起きない!◆40代ワーママ

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たくさんの考え方や価値観がある中で、みんなが自信を持って意見を言い合い、よりよいところを目指していく、、、そんな世界になったらいいなぁ。

職場やPTA、異なる価値観や考え方の中で日々感じたことを書いています。

武田友紀さんの著書

「気がつきすぎて疲れる」が

驚くほどなくなる 「繊細さん」の本

を読みました。

 

 

最近よく聞くようになった

HSP(Highly Sensitive Person)

について書かれたもので、

 

「敏感すぎる人」などと

訳されるHSPを

この本では

「繊細さん」と呼んでいます。

 

 

「敏感すぎる人」だと

「すぎる」というところが

ネガティブな印象を

与えることもあり、

 

自分の繊細さを

克服すべき課題と

とらえるのではなく、

いいのものとして

とらえる

 

というところから、

「繊細さん」と

呼んでいるそうです。

 

 

その辺りにも

著者の「繊細さん」への

優しい応援の気持ちが

伝わってくるようです。

 

 

 

この本はタイトルの通り、

気がつきすぎて疲れてしまう

「繊細さん」が

 

どうしたらラクに

過ごせるようになるか、

ということについて

 

 

自身も「繊細さん」であり

600人以上の「繊細さん」の

カウンセリングを

行ってきた著者が

アドバイスしているのですが、

 

そのアドバイスは、

「繊細さん」か「非・繊細さん」

(この本では、「繊細さん」の

反対を「非・繊細さん」と

呼んでいます)

という側面のみに関わらず、

 

性質や考え方の

違いによって生まれる

行き違いに対処するものとして

当てはまる内容だと思います。

 

 

 

「なぜ、こんな当たり前のことが

相手は分からないのか」とか

「なぜ分かって

もらえないのか」とか

 

と考えて悩み苦しむ

のではなく、

 

「相手は本当に

分からないのだ」

と理解した上で

 

自分を理解してもらうように

相手に伝えていきましょう、

というものだからです。

 

 

ここでは考えすぎてしまいがちな

「繊細さん」に向けているので

 

自分を理解してもらうように

相手に伝えていきましょう

 

というメッセージになっていますが、

 

「なぜ分からないのか

分からない」というのは

 

一方通行ではなく、

お互い様だと思うので、

 

相手に伝えていくとともに

相手を理解しようとする

ということが、

セットで必要なのだと思います。

 

 

結局、私たちは

知っていることしか

想像できないのです。

 

 

だから、

自分が想像できること以外は

理解の範囲を超えているので

 

「繊細さん」が「非・繊細さん」に対して

なぜ気にならないのか分からない、

と思うように

 

「非・繊細さん」は「繊細さん」に対して

なぜ気にするのか分からない、

と思うのです。

 

 

そこには、どちらも悪気はなく、

ただお互いに知らないから

「分かる」どころか

想像すらできないだけだと

思うのです。

 

 

 

知らないことは想像できない

ものなのだと理解すれば、

 

自分が周囲に対して

分からないと思うことは

自分が知らないだけのことなのだ、

 

と思えるようになり

「意味が分からない!」と

いう苛立ちがなくなり、

 

また逆に、

自分が分かってもらえなかった時には

相手はただ知らなかった

だけだと思い

 

「なんで分からないの!」という

苛立ちや落ち込みも

なくなるのではないでしょうか。

 

 

 

この本を読んで、

 

人は自分が想像できる

=知っている範囲でしか

世界を見ることができないし、

 

さらにはそれが世界にとっても

当たり前のことで、

分かってもらえる前提でいることを、

改めて感じさせてもらいました。

 

 

自分も相手も知らないことは

想像できない、

 

という、言われてみれば

そりゃそうだよね、という前提を

持って

 

「なんで分からないの!」

「なんで分かってくれないの!」

に遭遇した時には

 

自分は知らないから知ろう、

相手は知らないから伝えよう

 

と素直に考えたいと思います。

 

 

 

【今日のまとめ】

 

知らなければ、

分かるはずがない。

 

自分が知らないなら

知ろうとして、

 

相手が知らないなら

伝えようとする。