今日も言葉の定義について
考えました。
そもそも人間は
どうやって言語を
身につけていくのか、
思考することも言語なのに
言語のない世界から
どうやって言語を脳内に
構築していくのか、
ということに
とても関心がありました。
子どもが生まれたときに
そういうことを研究している
機関に協力しようかと
思ったくらいです。
定期的に通うのですが、
場所が自宅から
気軽に行かれる場所では
なかったので
諦めましたが。
全ての人は
見るもの、聞くものの
すべてが初めての
赤ちゃんから始まって
周囲にいる
言語を話す人たちが
ひとつひとつ
「これはキャベツよ」と
伝え続けることで
キャベツというものと
キャベツという言葉を
結び付けて
覚えていくのですが、
キャベツのような
目に見えて認識しやすい
ものであれば
「これがキャベツだ」と
他人と共通の理解を
持つことができるのでしょうが、
感情や概念といった
目に見えないものを
果たして
他人と共通の理解を
持つことができるのか、
というと
そうではないと思うのです。
目に見えない概念も
キャベツと同じように、
繰り返し目の前に現れる
何らかの状況と
それを指す言語が
セットになって理解されて
いくのだと思います。
ここで、全ての人が
同じ状況で同じ解釈を
するわけではないのですから、
その理解のもととなる状況は
誰が見せても同じ
キャベツというモノとは異なって
「説明する人」の解釈によって
引き起こされたものが、
その状況、感情を表す
言葉の定義として
子どもの中に植え付けられていく
ことになるのです。
例えば「仕事」について。
帰宅後に「疲れた」を連発し、
会社や上司、同僚のグチを
言い続けていて、
「でも食べていくためには
お金が必要だから
働かないといけない」と
言っている親と、
「今日も頑張った!」と
明るく言い、
「未来がこんな風になったらいいなと
思って仕事している」と
やりがいを語り、
「誰かに喜んで買ってもらって、
お金をもらっている」と
言っている親では、
その子どもが理解する
「仕事」という概念は
全く違ったものになりますよね。
現実としては、
自分だって後者のように
なれてはいませんが(汗
また、同じ「仕事」関連でも
主に男性が外で働いて
お金を稼ぎ、
主に女性が家の仕事をやる
という
かつての日本の価値観も、
物心がつく前の幼い頃に
自分の家の中に
当たり前にあった状況から
理解されたものだったのだろうと
思います。
このように
人間がどうやって言語を
理解するようになっていくのか、
特に概念ということについて
自分の中の定義が
どのように生まれたのかを
考えてみると、
個々人の状況に応じて
違う定義になるにきまっていると
想像できますよね。
そうすると、
自分と異なる価値観に対して
それが間違っていて
自分の方が正しいと
思ってしまったり、
逆に、自分以外の方が正しくて
自分が間違っていると思って
悩んでしまうことは
あまり意味がないような
気がしてきます。
たとえば「仕事」に対して
ポジティブな定義を持っていれば
幸いですし、
そうでなければ
アンラッキーというくらいで
いずれも
「たまたま」そうなっている
ということのように感じます。
そう考えると、
特に自分がネガティブな
イメージを持っていることに
対しては、
本当にネガティブな意味しか
ないのだろうか?
と疑い、
もしポジティブに捉える人が
いたら、どのように
解釈しているのか?
と想像してみると
もしかしたら今自分が
悩んでいることが
その解釈を変えることによって
薄れていくかもしれません。
例えば、
結婚していないこと、
子どもがいないこと、
専業主婦であるということ、
子どもを預けて
仕事をしているということ、
どんなことでも
それに対してネガティブに
思う人もいれば、
ポジティブに思う人もあります。
自分の状況について
「正しいのか?
間違っているのか?」と
ふと思ってしまったときに
迷いや悩みが
生じるものですが
正しいか、間違っているか
万人に共通な正解はなく
「たまたま」その人が
物心つく前に
周囲で起こっていた状況から
定義づけられた価値観なんだ
と思うと、
自分は「たまたま」相手と違う
価値観を持っただけだ、
と思えて安心できたり、
自分がそれを
ネガティブに捉えていることが
嫌だと思っているなら
「たまたま」ネガティブに
捉えてしまっただけだから
ポジティブに変えればいい、
と思えたりしないでしょうか。
このように
価値観や考え方の部分で
他者との違いに迷いが悩みが
ある場合は、
その価値観、考え方に対して
今自分が持っている
定義や感情は
「たまたま」持ってしまった
ものだから、
嫌なら変えればいいし、
同じことに対して
相手が今持っている
定義や感情も
「たまたま」持ってしまった
ものだから、
仕方ないなと
受け入れることができたら
いいのだと思います。
ある概念に対して
自分がどのような定義を
持っているのかに
意識を向けながら
自分にとって良い方に
変えていきたいと思いますが
当たり前になっているので
普段何もなければ
気付くこともなかったりします。
ですので、
他者とぶつかった時こそ
意識できるチャンスだと思って
日々の摩擦に感謝しながら
定義の確認、上書きに
努めたいと思います。
【今日のまとめ】
個々人が持っている
価値観や考え方は
「たまたま」持ってしまったもの。
そこに正しいもなければ
間違っているもない。
相手の価値観が気に入らなくても
たまたまなのだから
仕方ないと受け止めればいいし
自分の価値観が嫌なら
変えればいい。
自分の中にある定義に
意識を向け、
向かいたい方向に勧めるように
定義を上書きしていきたい。