こんにちは。
鮒谷さんの音源を
聞いて
またガツーンと
やられました。
先のことを考えて
何かを学ぼうと思って
セミナーにいったり
本を読んだりしてきました。
が、いまだに
目標が定まらず
もやもやしているわけです。
なぜこの状況に陥っているのか
鮒谷さんの言葉で
すとーんと腹落ちしました。
私の意訳も入ってしまいますが、
以下のような話でした。
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学習がMUSTや
SHOULDになっている人が多い。
学習がMUSTやSHOULDに
縛られていて
しかも、学校制度のせいか
社会システムのせいか、
中途半端に躾けられていて
やれ、と言われれば
やりたくなくても
ある程度までは
勉強できてしまう。
けれども
それが自分の目標、
在りたい姿と明確に
結びついていないから、
一生懸命やっているのに
なんでインプットしているのか
分からない。
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自分も、このままではいけない、
よりよい将来を目指して
と思って
学んできたつもりでしたが、
そもそも、
ありたい姿が明確でないから
そうなるために何をするかを
考えるということもなく、
ある意味だらだらと
学んできたわけです。
その時その時で
「これについて学びたい」
「これを改善したい」と
テーマをもって
学んできたのですが、
では、それぞれのテーマが
自分のありたい姿に
結びついていたか
というと、
そうとは言えません。
もちろん
すべての学びは
役に立っているのですが
もしかしたら
本当に自分がありたい姿からしたら、
他にもっと学ぶべき
優先度が高いものも
あったのかもしれない
ということです。
特に読書については、
もともと本を読むのが
好きだということもあって、
いろいろと雑多に
読んできましたが、
そこにテーマはなく
読むこと自体も
学びにはなる、
と思い込み
MUST、SHOULDで
辛い思いをしながら
読んだものもありました。
同じ読書でも
在りたい姿を目指して
自分に足りないところを
学ぶため
と、明確な目的意識を
もっていたら
同じ辛かった本でも
辛くなかったかもしれないし
逆に「いい本だった」と
思ったものも、
テーマからしたら
そうでもなかった、という
感想になったかもしれません。
本当にありたい姿が
つかめたとき、
そこに目指した
学びに集中できるようになり
なぜこれを学んでいるのかも
明確に説明できるようになり、
複数の選択肢があった時にも
そこに一番近づけるもの
という優先順位を
つけられるようになるのです。
それは「学ぶ」こと以外の
全ての行為にも
当てはまることで、
自分のひとつひとつの行為が
すべて優先順位を含めて
説明できるものになるのです。
と、考えると
ありたい姿、目標とは
どえらいものだな。。。
と、畏れ多く感じてしまいました。
目標を掴むのは簡単では
ありません。
掴むという言葉も
正しくはなく、
定義を深化させ続けていく
と言うことなのかもしれません。
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本当にすべての制約条件をなくして
本当に何をやりたいのか?
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という問いを持ち続けて
迷いながらも
進んでいきたいと思います。
【今日のまとめ】
その時その時のテーマで
学んできたが、
本当に自分のありたい姿と
結びついているかというと
そうとはいえない。
さらには、
学ぶこと自体を
やるべきことと考え
無理して
学んでいたこともある。
心からの目標、
ありたい姿が明確になると
そこに向かって
必要な学びが何かが、
優先順位も含めて
明確になる。
さらに、学び以外の
すべての行為も同様に
目標に紐づいたものとなる。
目標とは、どえらいもの。
本当にすべての
制約条件をなくして
本当に何をやりたいのか?
という問いを持ち続け、
自分の目標の定義を深化させ
そこに向かって進んで
行動できるようにしていきたい。