知っていました?? | 天保15年からコツコツと。長野市 善光寺近くの文具店 株式会社 ヒシヤ(ひしや) です。

天保15年からコツコツと。長野市 善光寺近くの文具店 株式会社 ヒシヤ(ひしや) です。

文化を発展させてきた要因は様々ですが、太古から現在までそれを伝えて来たモノは文具です。もう一度見直してみませんか(^^)???筆、墨、ソロバンからPC、ITネットワーク設備まで170年の歴史の中で登場してきた文具に触れて来た文具通がお送り致します。ひしや

おはようございます!

鉛筆、ボールペンから始まり、日本人なら一度はお世話になっている筆記用具の大手メーカー
三菱鉛筆さん、実はロゴマーク名前もほとんど同じな巨大グループの三菱グループとは一切関係ないんです

社名もコーポレートマークも近いのに不思議ですよね、、。大戦後にも混乱した人たちもいたようですよ
以下Wikipediaより参照

1887年(明治20年)に、眞崎仁六が「眞崎鉛筆製造所」(まさきえんぴつせいぞうじょ)を東京市四谷区内藤新宿1(現在の新宿区四谷)にて創業。その後、1918年(大正7年)に横浜市神奈川町(現在の横浜市神奈川区)に色鉛筆製造元である「大和鉛筆」が誕生し、両者が合併して「眞崎大和鉛筆」とした。

1901年(明治34年)に、国産初の量産型鉛筆3種類(『局用鉛筆』)を、当時の逓信省(後の郵政省、現:総務省日本郵政NTTグループ)への納品に成功。これを記念して、1903年(明治36年)に、「3種」や創業者の家紋「三鱗(みつうろこ)」などを表す意味で、赤い三つのひし形を模した「三菱」をロゴマークとして商標登録した(登録番号18865)。なお、三菱グループが商標登録を行ったのは1914年(大正3年)のことである。

1952年(昭和27年)には、正式に社名を「三菱鉛筆」と変更し、現在に至る。

1985年(昭和60年)には、これまでに培った開発力やノウハウを活かし、化粧品事業として株式会社ユニコスモを設立し、ペンタイプの化粧品を開発・販売、OEMを行なっている。

GHQも

「三菱」の名称とスリーダイヤは、1901年に逓信省への『局用鉛筆』が納品されたことに際して、1903年に商標として登録されたものである。これは三菱財閥(現在の三菱グループ)よりも10年早く登録されている。

戦後財閥解体では、GHQですら三菱財閥の系列と勘違いし商標の使用禁止を迫ったのに対し当時の経営陣が財閥とは関係ない旨を再三反論し、GHQを退けた。その際「商標が『非財閥』であることを社告で公告し、製品にも明記する」という条件が付けられたため、当時の製品には、「NON財閥」「非財閥」と財閥三菱とは関わりない旨が記載されていた。

現在はローマ字表記する際、三菱鉛筆ではハイフンを入れてMITSU-BISHIとした商品と中にハイフンを入れない商品とが存在している。

三菱鉛筆と三菱グループとは文字もロゴマークも同じだが、旧三菱財閥系列に属する三菱UFJフィナンシャル・グループ三菱商事三菱重工などの三菱グループとは資本・人材関係が一切ない。眞崎大和鉛筆(三菱鉛筆の前身)の社長を輩出した近藤家及び三菱鉛筆の現オーナー一族となっている数原家と三菱財閥の岩崎家には間接的婚姻関係があるが、それ以上は発展していない。(岩崎家と三菱鉛筆関係者との間の親族・姻戚関係を参照)また本来の創業一族・眞崎家は岩崎家との姻戚関係もない。Wikipedia

ですって

なかなか知らない文具屋さんの歴史でした

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