4月から急に会うたびに具合が悪そう
最近まで働いていたのになんで…
相当我慢していたんだね
生きることが辛かったのかな

5月4日
早く来てと嫌な予感
家に行ったら横たわっていて、その姿に涙が止まらず
救急車を呼んでほしいと、救急搬送
なんでここまで我慢していたのか涙が止まらず

4時間検査を待ちながら一人で泣きながら待つ
かなり重症で長くないと診断
号泣

次の日からは毎日遠方の病院へお見舞い
日中、病院からの着信にメンタルが持たず

5月5日
パジャマやシューズ、入院に必要なものを買いに
早めの母の日のプレゼント
その足で病院へ

5月6日
昼間会いに行くも22時にまた先生から連絡あり、同日2回目の病院
急いで家を出るもタクシー捕まらず最寄駅に出られず
ギリギリ最終近い電車で24時夜中に病院到着
徹夜

高熱で呼吸も荒く苦しそう
食べられず
見ていて辛い

トイレ、水
ナースコールばかり

5月7日
先生が来るというから待つも来ない
お昼前にフラフラで帰宅

帰宅後に食事を取り、眠気に勝てず寝ようとしたら
先生から電話
会えずにごめんなさい
数値が悪いとか

助からない命には事務的

変な時間に眠り、夜は食べられず 
胃がムカムカ

会社のPC立ち上げて勤怠確定

眠りについても、何度も目が覚める

5月8日
会社に行き、上司、部下に事情を説明して大号泣

今日はお母さん、結婚記念日じゃない
土砂降りの雨の中病院へ

病院に行ったら輸血中…
4パックとか

珍しく滑舌もよく
この病院は良くない、点滴ばかり
先生は一度も見たことないと鬼の形相で怒りまくる

大丈夫だよ、と言うも

苦しくて話せないと追い出され
最後に病室から手を振ったのが結局最後

5月9日
今日も会社から病院に行くつもりも
お昼前に病院から容態急変で病院へ駆け込む 

呼吸が荒く辛くて見ていられなかった

こんな時も先生が来ず、むしろ会いに来いと

断った

先生の説明より、母といることを優先しますと
何から目線だ

着いた時には目も開かず
兎に角苦しそう

朝から具合悪いと言うなら、なんでもっと早く連絡しないのか

酸素も足りなくなり、交換にヘタレ看護師が水浸しに
大丈夫か、この病院?
更には片付けもしないで、退散

ずっと手を握りしめ、沢山話しかけるも指先が冷たくなり、血圧が下がり、心肺停止
一旦戻ったけど
最後は涙を流して、苦しそうに息を引き取り亡くなった

病院は末期になると延命治療の対応は事務的
医療従事者が素晴らしいとは全く思えなかった

最後に看取れたのは幸せなこととは言うけれど
見届けている方は相当辛い

そしてすぐに葬儀社の手配
日本のシステム?
残されている人が悲しまないようになのか、
おかしいかな

書類とか手続きも分からないことだらけ
もっとスムーズに出来ないものか

母の日を前に永眠
喜寿も近かったのにね




こんなにも毎日涙が出るのか
顔が変わってしまったよ
お母さん

誰もが避けられない通る道だけど
やっぱり辛いな

なんだかんだでいつも一番の見方だったよね

最後まで苦労して我慢強かったんだね

お母さん、産んでくれてありがとう

お母さんに一番の感謝は弟を産んでくれてありがとかな
最高な弟だよ

今日は遺品整理
沢山お土産を大事に持っていてくれたんだね

後悔は、
旅行にもっと沢山連れて行ってあげたかったこと

最初は足が悪いと言っていたけど、あまりにも体調が悪いんだから、病院に無理矢理連れていけば良かったこと

昨日は頑張ってエアロ行ったけど、倒れるかと思った
レッスンの後に遺影、喪服購入、棺に入れるお母さんが大好きなもの
5時間買い物

今日は遺品整理

書類手続き関連

明後日火葬
きれいにお化粧してあげるね

入院して6日で永眠あまりにも急過ぎる

今日は世界で一番と思うくらい悲しい母の日