少し前TVで
【石田さんチ】
やってました。

ショートカットで化粧している
石田さんちのお母さんを見て
亡くなった姑を
思い出しました。

似てます。

子宮がん
肺がん
全身がん

最期は入院せず
在宅緩和ケアを希望し
家で亡くなりました。

痛い痛い
しんどい、ツラい、
早く逝きたい…

意識がなくなる前に
私たち身内には言いませんでしたが、
かかりつけ医には
往診に来てもらうたびに
ぶつけるように
そう言っていました。

もう記憶が定かではないけど
キツい痛み止めを点滴し始めると
意識がなくなり
そのまま亡くなることが多いので
意識があるうちに
会わせたい人には
会わせておいた方がいい、
伝えることがあれば
伝えておいた方がいい
と言われました。

親戚に連絡をして
会いに来てもらいました。

うちの息子たちも
「今までありがとう」と
お礼を伝えることができました。

元旦那には
弟と妹がいます。

意識がなくなる少し前から
弟と妹は会社に休暇をもらい
昼間はずっとつきっきりで
みていました。

当然長男の嫁であった私も。
(私は姑が家で寝込んでからずっと)

そんなときでも元旦那は
仕事に行ってたな。

仕事から帰ってきて
様子を見に来ても
側にいることはなかったし
すぐ家に帰ってたし。

まるで関係ないかのような。

そして元舅から私が怒られたな。

「○○は何してるんや!
○○は息子やろ!長男やろ!
皆が(弟妹)つきっきりで
みてるのになんで○○は
こーへんのや!」と
看病で体も心も疲れている
舅の気持ちが
爆発しました。

私のせいちゃいますやん。
言うたところで
私のことなんか聞きませんやん。
自分がこうと思ったら
自分がおかしくても
人がおかしい言う人ですから。
面倒なこと避けて通りますから。

姑の枕元でお互い
感情的になってしまいました。

代わりに私が怒られたこと
今もあの人は知らないでしょう
きっと。


姑は意識がなくなってから
約1週間で逝きました。

意識がなくなってから
常に誰かしら親戚がいましたから
お茶やお菓子も出さないと。

私がお茶とお茶菓子を買いに行ってる間に
息をしなくなりました。

帰ってきて車を停めていると
義妹が
「おねえさん!お母さん息してない!
息が止まってしもた!」
と泣きながら走ってきました。

慌てて確認すると
もう息をしてませんでした。

みんなで確認してから
かかりつけ医に
連絡してきてもらいました。

緩和ケア…
穏やかな言葉のように
感じるけど実際は
壮絶でした。

意識がなくなるまでは
痛みとツラさとの
戦いだったと思います。
ずっと体が熱いとも言ってました。

でも最期は長年住んだ自宅で
皆に世話されながら逝けたこと、
姑の人柄やなぁと
ただただ尊敬しました。




石田さんちのお母さんをみて
ふと思い出したことを
書いてみました。