厄除けと世界平和を願う川崎大師(平間寺)には、あの大横綱が・・・ | 総合診療医:誰もがわかりやすく医療を理解する事ができるブログ

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もろもろの災厄をことごとく消除してくれる厄除大師として有名な「川崎大師」に行ってきました。

ここは初詣に毎年300万人以上訪れており、初詣ランキングでも少なくとも関東では上位3位にランキングされます。

  

  

川崎大師の最寄り駅は京急大師線の川崎大師駅で、京急川崎駅から4つ目です。

  

この京急大師線はわずか7駅の路線で、1899(明治32)年に、川崎大師への参拝客を運ぶために開業されました。

  

  

ご覧のように、まさに駅そのものが鳥居の柱をイメージしたかのような造りになっています。

  

川崎大師に行くには、駅から左斜め方向の道を進みます。

そちらに行く前に・・・駅改札口を出てすぐ右側に、次のような円形のモニュメントがあります。電車の車輪のような形をしています。

  

  

実は、京急電鉄の始まりは京急大師線だったのです。

この石碑は「京急発祥の地 記念碑」として、京急創立70周年(1969年)に設置されました。

  

#初詣の歴史

江戸時代までは一家の主人が代表して、年末から元旦にかけて、地元の氏神様に泊まり込む習慣がありました(年篭り)。それが泊まり込みをしないで、年末と元旦に分けて参拝するようになりました。

そして元旦参りの方を、初詣と言うようになりました。

  

これに便乗(!?)したのが、京急でした。

『初詣は川崎大師へ』とキャッチコピーを広め、それまで「元旦参り」とか「恵方参り」と言われていましたが、ここから「初詣」という言葉が定着したようです。

  

  

さて駅から左斜め方向に進んでいきます。

上の航空写真では、右の道路の上に「表参道 厄除門」があり、上から下に進み、下の交差点で曲がり、更に次の交差点で曲がります。

  

いずれも大きな案内があるので、迷う事はありません。

  

  

老舗のお店が道路の左右にたくさん並んでいます。病院も並んでいます。

車の通行はほとんどなく静かです。東京からあまり離れていなくて、かつ田舎っぽい所って私は好きです。

  

これらの老舗のお店についつい目移りしてしまいます。

航空写真で紹介した最初の交差点を右に曲がり、次の交差点まで進みます。

  

  

仲見世でもたくさんの老舗があり、しかもどれも美味しそうで、お昼は何を食べようか?、帰りに何を買って帰ろうか?迷ってしまいます。

駅からそれほど遠くはないのに、あまりに寄り道したため、川崎大師「大山門」に到着するのに、30分もかかってしまいました(*_*;

  

川崎大師の仲見世の参道はとても盛り上がっています!!

  

▲川崎大師「大山門」

  

  

一礼して境内に入ると・・・

  

  

午前10時頃に到着した事もありますが、境内はとても静かで、参拝客も閑散としています。

初詣の賑わいが信じられません。

  

  

そのまままっすぐ進み、大本堂で家族の健康を祈願して参拝をし、大提灯を下からのぞくと、やはり龍を見る事ができました。

  

  

川崎大師は真言宗です。

堂内には、御本尊「厄除弘法大師」を中心に、不動明王、愛染明王などの諸仏が奉安されています。

  

ここに来た目的は、護摩祈祷に参列する事です。世界平和・国家安穏・信徒安全が祈願されています。

心が洗われますね。その日は特にストレスが溜まっていたわけでもないですが、強いストレスがあって落ち着かない時に、私は護摩祈祷に参列する事があります。

最近、Facebook上の友達やその家族が亡くなられたという事が続いていました。その人たちを思い出しながら、参列してきました。

  

尚、写真撮影禁止ではないようなので、護摩祈祷の模様を写真に撮ってきました。

  

▲大本堂正面

▲大本堂から大山門を見たところ

  

大本堂から大山門の方を振り向くと、右側に銀杏の木があります。

この木は「奇跡の銀杏」と言います。

  

第二次世界大戦の時、大空襲によって幹の大半を焼失したにもかかわらず、奇跡的に蘇生した古木です。

写真では分かりにくいのですが、幹の上の方では、焼失した痕が今も残っています。

生命力の象徴とされており、幹に触れて英気を養う人々もいます。

  

   

大山門から入ると、すぐ左側には「祈りと平和の像」、さらにその奥には「八角五重塔」があります。

  

「五重塔」は、境内と諸堂宇との調和を考慮し、更に真言の様式にかなうように華麗にして格調ある「八角」としています。

「八角」は最も縁に近い建造物の形とされ、「包容力」「完全性」を象徴しています。

  

上の「八角五重塔」の写真は、実は後ろから見ている所なのです。

この背後、すなわち正面からこの塔をじっと見ている銅像がありました。

  

下の銅像の写真、誰だかご存知でしょうか?

  

  

第55代横綱「北の湖敏満」の銅像です。

現役時代、あまりの強さに「憎たらしいほど強い横綱」とも言われ、子供が嫌いなものとして「江川・ピーマン・北の湖」という言葉もありました。

  

最高体重は169kgで、今や200kg以上の力士がゴロゴロいる中では決して大きくはありませんが、当時としては大きな部類で、その当時唯一体重200kgを超えていた人気力士高見山(204kg)を、ビデオの再生のように毎場所上手投げで巨体を転がす事ができたのは、北の湖だけでした。

  

生前、川崎大師の御本尊に熱い信仰を寄せられており、2017(平成29)年の三回忌の際に、親族奉納により銅像が建立されました。

  

  

さらに左側に進んでいくと、「やすらぎ橋」と「つるの池」があります。

橋は災難を除き、幸福を招くと言われる朱色に塗られ、欄干には悟りへと向かう段階(発心、修行、菩提、涅槃)を表す種子(しゅじ)20文字が刻まれています。

  

  

「安らぎ橋」を渡ると、「釈尊像」その背中には「日本百観音霊場(西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四間脳)」のレリーフがあります。

百個のレリーフ全てに手を触れて、お参りしてきました。

  

  

更に奥の方には「薬師殿」があります。

  

開創880年の記念事業として、2008(平成20)年に開設されました。

堂内には、薬師瑠璃光如来尊像、十二神将、更に撫でる事により身体健全・病気平癒が祈念できる薬師が奉祀されています。

  

▲不動堂

▲稲荷堂(東京大空襲の難を逃れた)

▲しょうづかの婆さん(歯の痛みをとってくれたり、美人にしてくれる!?)

▲正岡子規句碑

  

その他、沢山の句碑があったり、祈りや平和を願う像がありました。

  

厄除大師としての川崎大師の印象ですが、身体が弱い人や重い悩みごとを抱えている人たちが、遠くからでも足を運んできそうな場所なんだなあと思いました。

街中で売っているダルマも、その人たちに配慮しているのでしょう。そして世界平和を願う気持ちも、非常に強いと思いました。

  

しかもそれは川崎大師だけでなく、街全体がそのような人たちを歓迎してくれている・・・そんな印象を持ちました。

  

  

さてお土産ですが悩みに悩んだ末、とんとこ飴(痰切り飴)、せき止飴、弘法大師物語を買いました。

味としては、子供の頃に食べた昔ながらの飴という印象でした。

  

だるままでは買いませんでしたが、大師名物「くず餅」に関しては、お昼に力うどんを食べた後、「アイスdeくず餅」を食べました。

  

  

久々の「食べながら自撮り」で、美味しさが伝わるといいのですが・・・

最後までお読みいただきありがとうございます。

  

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