司法書士・行政書士山下尚のブログ

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ブログ久々に書いてみます。
私は最近体調があまりすぐれないこともあり、本日、町内会の行事をお休みさせていただきました。

そんな矢先にモニカ所長が本日をもって、山下事務所の天国出張所に栄転してしまいました。

モニカ所長は昨年12月から急に体調を崩し、食べ物もあまり食べなくなり、足もフラフラの状態でした。

お医者さんによると、鼻の奥にガン細胞があるとのことで、それが脳に達していることも考えられるとのことでした。

それからは家で二日に一度点滴を行い、看病してきました。

もちろん一番つらかったのはモニカ所長でしょう。そして、そんなモニカ所長を見ている私たちもつらかったです。

モニカ所長に楽になってほしい気持ちもあれば、まだ一緒にいたいという相反する想いがありました。

モニカ所長は一週間前から動けなくなってしまいましたが、ここからモニカ所長の営業力なのか生命力の凄みを感じました。

四年前に先に天国出張所に栄転したぺー助師匠は動けなくなってすぐに息を引き取ってしまいましたが、モニカ所長の場合は、生物の本能というか、動けなくなってからも呼吸だけは苦しそうながらにも行い、命を保っていました。

本当に、こんな小さな身体にとても大きなバイタリティーを感じ、最期の最期まで私たちに色々なことを教えてくれました。

本当にありがとうございました。

そういえば、モニカ所長の我慢強さは昔からでした。

モニカ所長が我慢強かったエピソードとしては、ぺー助師匠がいた頃、猫同志には縄張りがあり、ぺー助師匠が家の1階、モニカ所長は家の2階でした。

1階は家族が集まる場所なので、ぺー助は家族とよく一緒にいましたが、モニカ所長はじっと2階の階段前で、誰か来るのを待っていました。

ぺー助師匠が亡くなってからは1階に来るようになったので、縄張りということと家族と接したいという気持ちはやはりあったのだろうと思います。

ただ、今私が悔やんでいるのは、最初の頃はぺー助師匠とモニカ所長は仲が良かったのですが、姉や私の独り暮らしや祖母の逝去等があり、家族が少なくなり、ぺー助師匠とモニカ所長に悲しい思いをさせてしまい、二人の関係をギクシャクさせてしまったのかなということです。

たらればを言っても始まらないですね。

今、私は気持ちの整理がつかないせいか、モニカ所長との記憶がよみがえるばかりです。

20年前の私が高校2年生の時に、高校の生物の先生が生物室の黒板の片隅に書いてあった猫の飼い主募集、それに応募して、高校から自宅まで電車を使って帰宅、その際に、猫にも切符が必要だということや(荷物扱い)新しい家族が増える喜び。

モニカ所長が捨て猫だというエピソードや本当の拾い主との方へのお礼の挨拶のための訪問。
私のその拾い主への挨拶をしなくなるという怠慢。
冬になると、こたつに入っている私の上に乗ってくること。
朝一で、ご飯をくれと起こすため、ミャーミャーないてくること。
親がいないときに、私がモニカ所長のトイレの掃除を二日に1階しかしない怠慢。

書ききれませんね。

本当に色々なことを教わりました。

今はただ、天国でぺー助と楽しくじゃれあってくれたらです。

私たちの人生を豊かにしてくれたぺー助とモニカに感謝して、これからも二人の思いを引き継ぎ、前を向いてこの道を進み続けたいと思います。

本当に今までありがとう!!
安らかにおやすみなさい!!