前回の心法和道の稽古で気づいた重要なヒント。

それが

撃ってくるとは限らない

ということでした。

 

 

合気道やシステマの稽古法には「相手が仕掛けてくる」ことが技法練習の前提となっているものがあります。

そうなった時に私たちには2つの感情が発生します。

 

1.ベストなタイミングで動き始めたい

2.相手が撃とうと思う前に動くのは避けたい(独り相撲はイヤだ)

 

その結果、「相手の動きを見てから動く」という視力重視の動きになったり、緊張したまま動くという結果を発生させます。

システマの場合は「自分が快適なポジションを取り続ける」という助言で「見てから動くのではない」と指導してくれていますが、そうはいっても上記2で恥をかきたくない等の感情があるため、見てから動くことをなかなかやめられません。

 

 

 

また、乱取りやスパーリングといった形式の練習の場合も無気力試合が禁じられていて、両方に攻撃義務があるため「快適なポジション取り」以外の要素(相手にバレずに当てる等)があって、必ずしも敵意を察知することに適していません。

 

 

そこで私が「こうしてはどうか」と提案するのは「撃ってくるとは限らない」という思考です。

自衛隊(軍隊)のような「領土内の敵は見つけ次第攻撃」という場合を除き、現代日本における「実戦」というのはストリートの喧嘩であったり、警備業や警察官の職務上の格闘であったりするわけです。

それらの場合、相手が撃ってくるかどうかはわかりません。

相手にも法的なリスクがあるため、撃つ代わりに「失うもの」が発生します。

護身する方、警備員、警察官も同様に「正当防衛的な場面」でない限り攻撃を繰り出すことはできません。

つまり

 

相手が撃ってくるかどうかはわからない

ところからバトルは始まっている

 

のです。

そうなると、一見平和的に会話していても、その時点で相手に有利なポジションを取らせてはいけないし、自分に不利なポジションになってもいけません。

平和的な弁明や事情聴取といった段階からポジション取りを始める必要があるわけです。

そういう意識をもって稽古をすると、相手が撃とうと思ったときにイヤな雰囲気になり、その雰囲気を解消するために自分の位置を変えることができるようになってきます。

 

 

私自身、まだ完璧にできるわけではありませんが、稽古仲間たちからのヒントを自分なりに解釈して行動し、説明したところ、仲間からは「その動きが良い」とフィードバックをもらえました。

 

 

次回、自主練会か何かでお会いした方には実際に身体を使って説明しようと思います。

私と会えない方も「撃ってくるとは限らない(だからこそ相手が撃つかどうかわからないけど良いポジションを取り続ける)」を模索してみてください。