みなとくん物語~歌と線維筋痛症に生きる男~ 1 | 音・ステージ

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難病という逃れられない運命の中でも、自分の人生の舞台を創っていく。

拙い文章力ではありますが、書かせていただきますお願い
(一部フィクションです)
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第1章

 その男の姿は、愛知県一宮市にある、尾張一宮駅にあった。
 2017年9月、暑さが次第に和らいでくる頃、世界中に衝撃を与えるニュースが飛び込んできた。彼も、そのニュースに翻弄されていくことになる。
 この日は、中日新聞の取材を受ける日だ。なぜ、彼が取材を受けることになったのか。その答えは、この物語の中にある。

 JR尾張一宮駅から歩いて1分くらいのところに、その場所はある。5年前に建て替えられ、新しく生まれ変わったそのビルには、図書館や市民活動支援センターなどの市の公共施設や、パン屋やスーパーなどの商業施設が入っている。そのビルの東口すぐには、エスカレーターがある。そこを上っていくと、開けた、心地いい空間が現れる。半屋外で屋根があり、雨宿りにはもってこいのそこは、俗にシビックテラスと呼ばれている。
 シビックテラスには、複数の机や椅子が並べられている。彼は、その椅子にちょんと座り、記者たちを待っていた。
 「みなとさん、ですか?」
 「はい」
 「こんにちは。遅くなりまして…」
 「いいえ。今日はよろしくお願いします」
 「こちらこそ、よろしくお願いします。中日新聞の者です」
 「よろしくお願いします」
 「早速なんですが、お話の方をお伺いしても大丈夫でしょうか?」
 「はい、大丈夫です」
 「ご気分を害されたら申し訳ありません。確認ですが、「線維筋痛症」ということで間違いないですよね?」
 「はい。今も治療中です」
 「分かりました。色々お伺いしますが、もしつらくなったら言ってくださいね」
 「はい」
 こうして、彼に対する取材が始まった。



異変に気付く

 僕の名前は、末守美成都。「美しい」に「成長」の「成」、「都会」の「都」と書いて「みなと」と呼ぶ。そこには、海の港のように、広い心で生きてほしいとの思いが込められている。そして僕は、「みなとくん」として歌を歌っている。でも、ただ歌を歌っているわけではない。僕には、悪魔が住み着いているのだ。
 それが「線維筋痛症」という病気だ。難しい字だが、これで「せんいきんつうしょう」と呼ぶ。一体どんな病気なのか。一言で言えば、「全身に激しい痛みが出る、神経系の難病」といったところだろうか。
 この病気は非常に厄介で、まず原因がわからない。病気やけが、対人関係などのストレスが重なって、それが我慢の限界を迎えると、まるで拳銃の引き金を引いたかのように、激しい痛みなどの症状が出る。
 それなのに、全くと言っていいほど、検査をしても異常は見つからない。さらに、見た目は「健常者」と変わらないため、よく「怠け者だ」とか言われたり、仮病扱いを受けたりする。そんな病気と、僕は幼少期から闘っているのだ。

つづく