父が亡くなって、丸2年がたちました。


父が体調を崩して、病院を受診したときには、大腸癌が肝臓に転移している状態で

予後はかなり厳しい話でした。

それでも父は、前向きに治療に取り組み、癌と戦うつもりでいたのですが、

治療のための初めての抗がん剤投与で、ショックを起こし心肺が停止しました。

何とか蘇生はしたものの、低酸素脳症を起こした父の意識は、戻ることはなく、植物状態。

目を開けたり、頭を動かしたりはできるのですが、それも反射的な動きで、自らの意志ではなく。。。

私たちとコミュニケーションをとることができなくなりました。

あまりにも突然の出来事に、母も私たち子供たちも、親戚や父の親しい人たちも

全くもって、信じられず、受け入れられず。。。

家を出るときには、自分の足で歩き、「いってくるよ」と出かけた父の変わり果てた姿に

何がおこったの?なぜ?どうして?

という気持ちばかりで、とても混乱していたのを覚えています。


確かに父には癌が見つかり、余命は短かったかもしれません。

意識があることで、闘病生活はつらくて苦しいものになったかもしれない。。。

でも、治療として、良かれと思って取り組んだことで、

父の気持ち、父の言葉は、私たちに伝わらなくなりました。

もっと話しておきたいこと、やっておきたいこと、食べておきたいもの、

たくさんあったことと思います。残念でならない。。。私たち家族もそんな気持ちでした。


それから1年、母は毎日父の病室に通い、返事をしてくれない父に一生懸命話しかけて過ごしました。

人一倍プライドの高い父が、自分では、何もできない状態になっていることに

母が耐えられなくなり、母の精神状態が不安定になったときもありました。

癌も緩やかに進行し、少しずつ状態は悪くなりました。

ただ、父は、闘病生活のほとんどの時間を痛みや苦しみを訴えることなく、

静かに眠り、静かに目を開けて過ごしていました。

その間に、何度も家族で集まって、父を囲んで話をし、

私や妹が身体を拭き、弟がひげをそり、私の娘たちが、父の手足をさすって、マッサージをして。。。

母が毎日していたことに比べたら、みんなそれぞれ離れて暮らしているので、

たまにしかできず、たいしたことはできなかったのですが、

それでも父が元気で過ごしていたときよりも父の周りで皆で過ごしたように思います。

私たちの気持ちも、なぜ?どうして?から、父は、こうして皆と過ごす時間ができて

よかったかもしれないね。。。という気持ちもうまれ、

癌が勢いを増してからの壮絶な状況のときには、

もう、私たちのために生きてくださいとは言いません、どうか父が痛みや苦しみから解放されますように。。。

そんな祈りをささげるようになっていました。


父が旅立っていった日。。。皆で最後を看取ることができて、

悲しいけれど、どこかほっとしたような。。。もう痛くないんだね。。。苦しくないね。。。

そんな気持ちもあって、とても穏やかに父を見送ることができました。

京都の街は、静かに雪が降っていました。。。


父の気持ちは、どうだったのか、どうしてほしかったのか。。。それは今でもわかりません。

でも、私たちは、父が意識を失ってから1年、生き抜いてくれたおかげで、

父に起きたことを受け入れ、そして、大切なことを学ばせてもらった気がしています。

命。。。を考える、家族。。。を考える、幸せ。。。を考える、いろんなことを考えて、勉強した1年でもありました。


命あるものは、必ず死を迎える。。。私が経験したことは特別なことではなく、

皆さまもそれぞれに、いろいろなご経験をされていることと思います。


自分の命も、夫の命も、娘たちの命もいつかは終わりを告げます。

それがいつなのかはわからないけれど、その日を思うと、胸が張り裂けそうになります。


明日どうなるのかもわからない。。。だから、今この瞬間を大切に、悔いのないように。。。

生かされていることに感謝して毎日を過ごそう。

今日も「お帰りなさい!」と元気いっぱい、笑顔いっぱいに迎えよう、抱きしめよう、

おなかいっぱいにご飯を食べさせてあげよう。。。そしてありがとうと言おう。。。ラブラブ




fuwari ふんわり diary


                        父に感謝の気持ちをこめて。。。クローバー