今回取り上げたのは「マトリックス」(1999年)
思想家ボードリヤールの影響が話題となったこの映画、当時から興味あったのですが見るのは今回初めて。
ストーリーは何とも晦渋、断片的セリフも分かりづらい。
鼻血の大量出血による後遺症で、寝込んだ状態で見ている当方には画面の凝視を続けることも難しく、最後まで見終えるのに途中3度の中断を挟みました。
 
ストーリーそのものは最終的に私の理解力を超えていましたが、アクションシーンを含むそのハイパーリアルな映像は面白く、寝込んで見ている当方に気力、自信を与えてくれました。
[β]
ところでこの作品とボードリヤールの関係はどうか。
これは製作者側のボードリヤールへの‘片想い’ということでしょう。

監督はボードリヤールに随分心酔してたようですが、作品の構造とボードリヤールの思想にはズレがあるのではないか。
鍵はボードリヤールの「シミレーションとシミュラークル」なんでしょうが、とにかくこの本が恐ろしく読みづらい。
恐らく監督側に読みのズレがあったのではないかと思われます。
 
ボードリヤール自身はこの映画に対し、「現実と現実でないものという二元論に依拠している」と批判的だとか。
 
では「現実と現実でないもの」を一元化するとはどういうことか。
私の推測するところ、この際ボードリヤールの思考を誘導しているのは、マルクスの物象化論ではないかと思われます。。
与えられた現実が、そこでの行為、行動が物象化されることで‘現実を転倒したもの’=‘現実でないもの’、になってしまうという錯視。
更には、この‘現実でないもの’こそが当事者には現実であり、元の現実が‘現実でないもの’に思われてしまう錯乱。
 
この錯乱した事象をボードリヤールは「シミレーションとシミュラークル」において、恐ろしく難解に語ったのではないでしょうか。
ところがこの映画においては、この二つの世界がバラバラに二元化されてしまっているということでしょう。
 
しかしこの映画はそんな難しい世界に踏み込まず、そのハイパーリアルな映像を単純に楽しんだ方がいいでしょう。
せいぜいのところ、この現実というものがそれ程唯一無二な絶対的なものではない、という相対的視点が得られればそれでよしです。

ボードリヤールなど半分気違いのような人間でしょうし、マルクスの物象化論などの世界に下手に入り込むと、成れの果ては私のような乞食になってしまいます。
 
P.S.
昔ボードリヤールの写真展を訪れたことがありましたが、写真は全て“ピンボケ”、あえて焦点をずらした不鮮明な、ぶれた写真ばかり。
会場を出る時には何か頭がガンガンしてきた記憶が有ります。