こんにちは☀️
いつも読んで頂きありがとうございます😊

今日は私が初めて訪問した
脊髄小脳変性症のAさんのお話です。

私が初めてお会いした時、
彼女は既に寝たきり、
気管切開をした状態でした。

もちろんお話はできません。
目線や首振りで文字盤を使いながら
コミュニケーションを図ります。

彼女はすぐに
CO2ナルコーシスを起こしてしまうので、
吸引、呼吸理学療法をするために、
毎日2回訪問していました。

御家族は夫と娘さん。

Aさんは
気管切開のため
言葉は発することが出来ませんが、
いつもニコニコ笑っており、
おうちの中ではひまわり🌻のような
存在でした。

手足も動かせず、
不随意運動が多く、
首の頷きも分かりづらくなっていても
笑顔とアイサインで
コミュニケーションがとれており、
御家族の中心的存在でした。

人は何も出来なくても、
こんなにも愛され、
存在そのものがとても大切だと
このお家に行くと
いつもこちらが癒されるおうちでした。

トータル7年。
ステーションみんなで訪問していました。

でもある日、
Aさんの歯茎が腫れ、
熱が出てしまいました。
往診医に報告すると、
抗生剤点滴指示。

熱はあるものの、他症状がなく、

ひとまず抗生剤も投与が始まったので

安心してそれぞれ他のスタッフも

家路に着きました。


ところが…

夜間、娘さんから

「呼吸停止」のコール。


…Aさんはそのまま永眠されたのです。


誰も予想していませんでした。

歯肉炎による発熱で

亡くなってしまうなんて…


翌日にその知らせを聞き、

私は信じられないまま

Aさん宅に訪問しました。


Aさんを目の前に、

言葉が出ず、

私は泣き崩れてしまいました。


すると、

娘さんが

「びっくりさせちゃってごめんねぇ。

あんなにみんなに良くしてもらって、

頑張ってきてたんだけどね。

でもお母さん頑張ったから。」

と笑顔で話すのです。


私は泣きながら

「なんで大丈夫なんですか??」

と聞くと、

「もうずっと昔から

いつ死ぬかもしれないって

ずっと言われ続けてたから。

いつ死んでもいいって

毎日覚悟してたから」

「ひー子さんの方こそ大丈夫?」


と🥲


私の訪問看護人生の中で

後にも先にも、

利用者さんの御家族から

このように、慰められ、

どっちが看護師なんだろ•́ω•̀)?

状態の最期の迎え方は

この方しかいらっしゃいません。


また人が病気や障害で

何も出来ない状態でも、

御家族にとっては、

「doing」⇒「being」

存在そのものが大きな意味を持つ。

これを教えてくれた

Aさんでした。


Aさんと御家族の皆さんには

ホントに大きなものを

頂いたような気がします。

ありがとうございましたm(_ _)m