ちょいと固いタイトルです。
たまにはそんなんもいいかと。
仕事柄、アニメの作り方をやアニメの仕事に就く為のことを教えていますが、実際それそのものは決して難しいことはありません。(少なくとも私はそう思っています)
確かにプロ専用のアプリケーションに関しては入り口の触りづらさもあって最初の戸惑いはありますが、のどもと過ぎればなんとやらで、個人的な意見で言えばこれも難しいというものではないと思っています。
さて、ここからが本題ですが、最近思うことは上記にあるようなもの(こと)を教えようとするとき、その手前で学生がつまづくというケースが散見ということです。
「やってみてわからない」ということならわかりますが、彼らは共通して「やる前からわからない」という現象に陥っています。
「やったことがないことは誰しもやる前からわかるわけがない」のですが、彼らはそうしたケースに遭遇すると「考えること」「取り組むこと」を「わからない」という言葉を使って放棄してしまうのです。
あくまで私的な見解なので、人によって異論、他論あると思います。
私が実際に教えている学生と接していて感じることです。
放棄するということはこの先(未来)にある可能性がなくなるということですが、彼らはその先(未来)にある可能性に関しては手に入れたいと口にします。
客観的に見ていればただのわがままですが、彼らに悪意はありません。
わからないことに遭遇したときそれとどう向き合えばいいのかその方法論を知らないのだと感じます。
では、そうした人にどうしたら教えるということができるのか?
そんなこと思いながらもなかなか良い答えがみつかりません。
様々なケースと照らし合わせながら探していきたいと思います。
たまにはそんなんもいいかと。
仕事柄、アニメの作り方をやアニメの仕事に就く為のことを教えていますが、実際それそのものは決して難しいことはありません。(少なくとも私はそう思っています)
確かにプロ専用のアプリケーションに関しては入り口の触りづらさもあって最初の戸惑いはありますが、のどもと過ぎればなんとやらで、個人的な意見で言えばこれも難しいというものではないと思っています。
さて、ここからが本題ですが、最近思うことは上記にあるようなもの(こと)を教えようとするとき、その手前で学生がつまづくというケースが散見ということです。
「やってみてわからない」ということならわかりますが、彼らは共通して「やる前からわからない」という現象に陥っています。
「やったことがないことは誰しもやる前からわかるわけがない」のですが、彼らはそうしたケースに遭遇すると「考えること」「取り組むこと」を「わからない」という言葉を使って放棄してしまうのです。
あくまで私的な見解なので、人によって異論、他論あると思います。
私が実際に教えている学生と接していて感じることです。
放棄するということはこの先(未来)にある可能性がなくなるということですが、彼らはその先(未来)にある可能性に関しては手に入れたいと口にします。
客観的に見ていればただのわがままですが、彼らに悪意はありません。
わからないことに遭遇したときそれとどう向き合えばいいのかその方法論を知らないのだと感じます。
では、そうした人にどうしたら教えるということができるのか?
そんなこと思いながらもなかなか良い答えがみつかりません。
様々なケースと照らし合わせながら探していきたいと思います。