上の子は産後の甲状腺機能亢進症の疾患により、2歳児保育から、入園していました。下の子は通常の3歳児入園でした。5月位に自宅近くにある地元の人材派遣(工場内も含む)と都心部にある中規模の派遣会社に募集をみて行きました。仕事のブランクもあって、採用されるか、自信もなかったのですが、募集内容が前々職と関連性が高く、ハードルも低く感じたので、チャレンジでした。結果的には、2社競合という事で、私が採用されることがありませんでしたが、『うちはあなたで行きます。』と言われた事がとても嬉しかった気がします。

しばらくは、2社登録で、二人の子供を保育園に預け、家事しながら他に仕事探しはしずでした。それまで、ママ友と一緒に子育てしていたので、そのママ友さんと遊んだりしていました。その日も、彼女の好きなカラオケに誘われ、その真っ最中に、家近の派遣会社の担当者から携帯が鳴りました。仕事内容は工場内の仕事でした。立ち仕事で9時から5時まで出来るかしら、ちょっとやだな。と思いましたが、期間も2週間位で、製品の品質管理の検査で品質がよくなれば、いらなくなる終わりがある仕事だから、強く押されたこともあり、受けることにしました。その仕事が、意外に、製品自体が、金属でそれを持ち上げたり、戻したりと重いんです。おまけに場内は暑くてきつかったです。ちょっと誤算でした。期間も延長が出て、年末まで位続きました。下の子が保育園に入り、初めての夏休みは私が仕事で疲れ果てて、休日はベットでほぼ横になっていました。重いもの持っての、立ち仕事で、膝が悲鳴を上げていました。一旦、その仕事は終了が出て、また違う仕事の依頼が2件あり、その仕事は楽でした。年内で終了という

、そのタイミングで、大手の派遣会社にも登録していたので、そこからの仕事の紹介の電話でした。時短で時給もよく、家からも15分くらい。車で通勤出来て、車もただで置かせてくれる。仕事内容も、以前の職歴で十分そうな内容だし、いわゆるパソコンっていうレベルではなく、社内独自のコンピューター。それも古いやつ。年内の師走ぎりぎりではありましたが、面接に行って、年明けから新しい職場が決まりました。ボロッボロの社屋とは言うものの、一旦受けた仕事。身なりにも、私服で事務職にふさわしく、少し女性らしさや若さもアピールしようかと、時間にも厳守と、朝保育園に送迎してからの仕事入りです。それもでかい車を狭い車庫に入れないといけないというおお仕事を中ヒール位で、頑張る30代半ばでした。仕事へのブランクも自分へのプレッシャーだったのでしょうか?ストレスからか、化粧をしても赤ら顔が隠せなくて、職場の先輩に顔面紅斑を指摘されるのでありました。

一旦切ります。