生きづらさについて

感じるとがありました


どうしても選んでしまう傾向
引き寄せてしまうもの
ついてしまった思考パターン




私もこれまで自分とは何かを
ずっと理解し、腑に落とし続けてきた中で
自分を知ってい来てます


そして客観視して
先程の生きるのが大変な人達の中に
自分を置いてみると



『あぁ。。もしかして私ってものすごい
生きるのが大変だったかもしれない。。』


って
すごく冷静に思うのです


今も、もしかしたら
まだまだ生きるのは大変なのかもしれません



でも
前の自分と違うのは


生きづらいとされている理由を

自分に対して理解しました


自分のルーツや感性や能力
それに付随してくる副作用のようなもの。

知っていきました



一心不乱で
いろんな世界に飛び込みました
いろんなことを学びたかったのは


きっと自分を知りたかったから



たくさんインストールして
違和感のあるものはデリートして

なんとなくぼやけて
自分の輪郭ができて
この部分はどうやら間違いないってことも出てきて


これを踏まえて
思いっきり自分を生かそうとおもっていて


それは『覚悟』というやつです


だからね

進めたい
変わりたい
知りたいって望む気持ち

全部じゃないかもしれないけど
寄り添えるくらいは
知ってるつもり


『なんで
わたしもっと
上手に生きれないの?


みんなはもっと上手に生きてる気がするのに
なんで?

持って生まれたものが私だけ
可哀想なのかな

上手く生きられないのって

あたしの持ってるハンデがあるんだろうな。

だからしょうがないんだろうな


表面だけ誤魔化したって無駄だな
そのうちぜったいボロがでる

ほらまたトラブルが起きる

ほらまた途中でくじける


わたしなんか何やったってだめだ、

ひとの気持ちがこんなにわからないなんて

きっと私、何かが足りないんだ



だからあたしなんかは
このくらいでいいんだよ


目指したって無駄なんだ


あたしの幸せってなんだろう


みんなが目指してるものが
私に訪れたら

幸せってやつになるのかな

そうだったとしたら
わたし

幸せになれないな

みんなが目指して憧れるやつ


あたしなんかには
ふさわしくないから。。。』



このくらいは思ってましたよ

(今思うとすごく病んでいたと思います笑)



実は全くの勘違いだったということを
少しずつ気がついていったのですけどね
 


私のことを周りの方や見ててくださる方々は
どんな風に見えているかわかりませんが

そんな風にも思ってた
私の過去もあるのです



わたしは
「生きづらい」って言葉は自分には使いません


この人生しかないから

それを言うことに意味がない気がするのです



もし今、生きるのが辛い人

自分を知って
自律できるようにしていきませんか



生きるのが大変な人だからこそ
この世でどう生きるかが


どんなに大きな意味があるか


私はそれを
称賛したいですし
誇りに思いたいですし

証明したいんです