私はどうもひねくれた頑固者だなと思います。
皆が同じことをしていたら、それをやりたくないし、誰かに強制されると余計反発したくなるし、みんなが称賛する人や、物事にはケチをつけてあら捜しをしたくなる。
そんなふうにへそ曲がりに生きてきました。
就職活動というのをしたことがありません。
就活用のスーツも持っていませんでした。
何故かというと、それまで学生生活を楽しんでいた同級生らが、同じようなスーツを着て就活をしているサマが、何だかすごく違和感で、気恥ずかしくて、シラケてしまい、私はやる前から、あ、無理だわと諦めました。
大学時代、よく顔を見る男子学生がいました。私の友人の友人でもありました。
その彼は学生運動的なこと、学生自治会などの活動に熱心でした。バブルのころに学生だった私の世代、彼は目立っていて、長髪でした。
あのころ、長髪男子というのはほとんど居なかった時代に、赤いバンダナを頭に巻き、時代遅れのフォーク歌手のようないでたちで、学生会館前で学生向けに演説したりしていました。共産党青年部とか原水爆禁止学生連盟とか、そういう社会活動を学内で展開していました。大学当局を糾弾したり、いわゆるアカい学生でした。
何かあの人ウザいな、痛々しいな、生まれる時代間違えてるな、と思いつつ、ある程度一目置いてみていたのです。
「きっと何か、理想があるのだろう」
それが就活スタートしたら、髪を短く切り、スーツを着て大学内を闊歩していました。たまたま彼の共通の友達と会って、話しているのを聞いていたら
「いや〜、俺もそろそろちゃんとしなきゃなあって思ってさ」
その言葉と、その子の雰囲気を今もハッキリと思い出すのです。
「あの学生自治会でマイクを握って偉そうに演説していたのは何だったんだ!? ただの遊びだったのか?軽薄なヤツめ!」
怒りとも何とも形容しがたいムカつく気持ちがボン!と私の中で大きな炎となって燃え上がりました。
その頃わたしはといえば、大学4年生になる前に大学の教授の農村調査に同行してラオスを訪れた、その強烈な印象にひきずられて、頭の中は常にラオスのことでいっぱいでした。
貧しい農村、純朴で優しい国民性。
目をキラキラさせた子供達。
その魅力は私をとりこにしていました。
ラオスで働ける人材になるには、今自分が何を学べば良いのか、農学や林学に進学するのか、このまま福祉方面でどこか就職先を見つけるのか、何をすればラオスの農村開発の現場に立てる人材になれるのか?
そのことで頭がいっぱいだった時でした。
自分の中でくすぶる思いがたまりに溜まっていたからでしょう。
彼の
「俺もそろそろちゃんとしなきゃ」の言葉が、ボン!と心の中の怒気に引火したのです。
「私は絶対に自分の理想の仕事を見付けるまで、就活なんてするもんか!」
若かったな、と思います。
別に彼が軽薄だったわけでも無いし、それが普通だと思いますし、そうやってみんな社会人になっていくんだと思います。
でも、私はあの時自分の中で爆発した怒りは30年以上たった今も消えず、やっぱりいまだに頑固で、自分の理想を求めています。
ヤギ小屋の掃除をし、畑の草抜きをし、薪を拾う暮らしは、人によっては何が良いか分からないだろうけれど、やっぱりこれが自分の理想の暮らしだと思っています。
彼は理想家ではなくただの先導家であり野心家だった。理想などなくても、人に振り向いてもらえるだけで自分への重要さが増したように感じ、満足していたのでしょう。
案外、こういう人は多いのでしょうね。
普通、人は理想があれば傷つきます。
悩みます。
野心だけなら傷つかないし、変幻自在に自分の主張を変え、自己反省などせず、常に攻撃のベクトルを相手に向けていれば悩みはしないでしょう。
頑固者の私は、一生こうして同じ流れには逆らって、時に傷つき悩むのだけれど、それらはどこか爽快ではあるのです。
賢い野心家には「牛のように鈍重な頑固者だ」と笑われるでしょうが、笑いたければ笑え、こっちだってオマエのこと笑ってるから、そう思って過ごしています。