長男を出産したのは2006年。

南米チリでは出産の2日後の昼には退院させられます。

まだ貧血でクラクラ。

無痛分娩の出産だったとはいえ、出産時の傷は立ってるだけで痛むし、オッパイもあまり出なくても、オムツ替えも出来なくても、退院。


おくるみに包んだ長男をこわごわと抱えて、病院の前で一人。

車で迎えにくる連れ合いのグスタボを待つ間、立ち尽くし、例えようもない不安が襲ってきました。


幸い退院から1週間以内に、日本から母が駆けつけてくれました。


元海外協力隊の方がチリに旅行することを人づてに聞いていたので、フライトを合わせ、お願いしてアメリカでの飛行機の乗り換えをサポートしてくださり、無事にサンチャゴ空港まで母は来てくれました。


当時64歳。

海外旅行はツアーのみで、一人旅は初めて。

スゴイ母です。


本当に尊敬しかないです。

娘(私)のために勇気のある母です。


日本語の話せないグスタボがスペイン語の出来ない母を空港まで迎えに行き、どうコミュニケーションとったんだか、無事にサンチャゴのアパートに来てくれました。


母に言わすと、アパートで新生児の長男と待っていた私の目は三角に釣り上がっていたそうです。


母は1ヶ月一緒に過ごして新生児のお世話を教えてくれ、おまけにその期間に私達は2区画離れたアパートに引っ越し、母が子守をしてくれて引っ越しも無事済ませられ本当に助かりました。


母はいる間に長男用の毛糸のベストやよだれかけなどを作ってくれました。

何でも器用な母です。





そんなころグスタボに

「ねえ、子育てってどうしていけばいいのかな?」と質問したら


「何って、そりゃあカワイイ、カワイイって愛してやればいいのさ」

との言葉。



それを母に話すと、母はフフンと鼻で笑い

「カワイイ、カワイイで育てられるほど子育てはそんなに甘くないよ、子育ては大変だよ」


私はこの時の二人の対照的な言葉が忘れられません。




父親のグスタボというのは、犬猫を可愛がるかのように、赤ん坊をヨシヨシと頭を撫でたり可愛がり、ビャア〜ッと子供が泣けば「おーい、泣いてるぞ」と私に持ってこれば、完了。


でも私はオッパイをやり、オムツを変え、あやし、寝かせ、自分の時間も自分のことも全て捨て去って子供に尽くしてきたわけで…。(どこの家庭も似たようなものかな?)


髪はバサバサ、虫歯、白髪、シミ、シワが気がついた時には進んでしまっていた私。気がつけば五十路。


子供達はどんどん美しく輝いていくのに、私はどんどんみすぼらしく惨めでいつも疲れた不機嫌な人に。


そんな変化に気づくと、「あれ?これが私の望んだ人生だったっけ?」毎日そういう疑問に折り合いをつけるのに必死です。(もう諦めの境地…)

     


金曜日は母の日でした。


子供達からお祝いの言葉とハグをうけました。

そして昨日日曜も、母の日を家族みなで祝ってくれました。


プレゼントはパジャマのセットと高級チョコレート。お金はパパで、長男がプレゼントを選んでくれたようです。


次男は絵を。軽度自閉症スペクトラムの彼の絵はいつものお気に入りの彼の空想上の友達が、私をハグしてくれています。








長女は手紙を。

これがまた、泣ける!

もうこの子、詩人か!?というくらい、エモい…。


そして昼ご飯。私がピザの生地を作り、長男がトッピングして焼いてくれました。

昼食時に我が家では恒例、各自がスピーチを。


世界一のママ、

ママを誇りに思う、

僕が最初の貴女の子供、

ママの子で良かった、

ママの頑張りをいつも見てる、

大好きなママ


などなど。


日本人なら恥ずかしくて言えない、チリ人お得意の美辞麗句と分かってはいても涙腺崩壊とはこのことです。


皆、泣かすの上手すぎるわ…

シナリオライターになれる…




確かに子育ては甘くないよという母の言葉は正しかったけれど、ただ愛してやればいいというグスタボの言葉も正しかったなと思うんです。


グスタボが
「な? うちの子供たちは最高だな」


「私が育てたからね」


グスタボ

「オイオイ、俺は存在してないのかい!?」


私はニヤッと笑って次の言葉を飲み込みました。


「子供達は誰のおかげか分かってるよ」




(10年前? まだ子供達がちっちゃーい!)



娘が言ってくれます。


「クラスメイトの友達たちは子供なんか生みたくない、欲しくないっていうの。私は絶対に子供欲しいわ」


嬉しい言葉ですね。


これを聞けるだけでも、母親になれて良かったって思います。


母の日。

母に感謝する一方で、子供達に感謝される日にもなりました。




私は母親のことが大好きで、いつまでも甘えん坊の娘ですが、母親から受け取った子育てのバトンを手渡していく母としての私の役目も、まあまあ果たしつつあるかな。





こうしてバトンがつながっていくんでしょうね。



(2014年、私の母と子供達)