一昨日、夫婦で参加するディナーというのに呼ばれて参加してきました。
前日に急に連れ合いのグスタボが言ってきました。
グスタボ
「おい、金曜日の7時から刑事退職者グループの奥さん同伴ディナーだからな」
私
「え? 私行かないって言ったよ?」
グスタボ
「駄目だよ、もう行くって申し込んじゃったよ」
私
「いや〜、ああいう奥様方の華やかな場所に行くなんて苦手だし嫌だよ〜、着るものもないもん、一人で行ってよ〜」
グスタボ
「お前ついて来なかったら俺も行けないよ」
強引な説得?にしぶしぶに行くのを承知しました。
昨年初めて参加したけれど、わざわざ美容院でヘアスタイルをセットしてきたの!という奥様方がオシャレに着飾った食事会は私には敷居が高すぎる…。
おまけにグスタボの刑事だった期間は短すぎて、知り合いも少なめ。彼は持ち前の愛想の良さですぐ誰とも友達になってしまうけれど、私は本当は内気で人見知りだし…。
普段農作業着ばかり着ている私には、女性的な服も無いし、どうしよう…。
今回は夕食会プラス、ダンスパーティーでもあるらしいから、ジーンズとかカジュアルは駄目だろうな〜。
そう不安に思いながらも、当日は朝からガンガン農作業に精を出していました。
先週から忙しくてヤギ小屋の掃除がおろそかだったので、糞を一輪車に入れて、アロエ栽培場所に撒くこと7回ほど。えっちらおっちら糞の入った一輪車を押して坂をくだり、どかっと糞を土の上にあけ、空いた一輪車をまた押しながらヤギ小屋に戻り…の繰り返し。
一輪車へスコップで糞を積み上げていると、乾燥のため粉末になった糞がふわーっと私の前に舞い散ります。
昼頃までにヤギ小屋の掃除完了。
田舎の香水をプンプンさせて、いつものように次男を特別支援学校に迎えに行き、運転往復60km,1時間。
放牧から帰ってきた山羊たちを小屋にしまい、干し草を与え、車を洗い、物置の中のスーツケースから何とか体裁のつきそうな服を引っ張り出して、シャワーを浴び着換えました。
普段化粧もしないので化粧品も無いので、14歳の娘が喜んでメークアップしてくれて助かりました。
今どきの女のコはどこで覚えるんですかね?
「ママ、綺麗よ〜!」と娘におだてられ、少し気持ちも華やぎます。
娘が「パパ!見て見て!ママのオシャレ姿!ジャジャーン!」
グスタボ
「おぉ!いいじゃん!ちゃんとしてるよ!」
褒められた照れ隠しで、つい着ている服の種明かしを披露してしまいました。
私
「パパ、知ってる? この巻きスカート大学3年生の時、ラオスに行って現地で作った民族衣装で31年も経ってるのよ。
この黒いタートルネックのシャツは姉からのおさがりのユニクロで7年もの、カラータイツは10年以上前に買ったもの。
パンプスは2001年に協力隊の訓練入る前に買ったもの。
ネックレスは大学一年生の時のバイト代でデパートで買ったものなんだよ〜」
グスタボ
「いやあ、すごい思い出の品ばかりだなあ〜」
農業ばかりの毎日にドレスアップする必要もなく、服はもっぱら、家族や友達からおさがりのお古ばかりで新調しません。
女性的な服など、ここ数年間買ったことも無かったから一時は本気で焦りましたが、30年以上経った服まで引っ張り出して何とか体裁が整って本当にホッと胸を撫でおろしました。
4回も行った、大好きだったアジアの小国ラオス。女性の民族衣装の巻きスカートの「シン」は絹糸で織り上げられ、幾何学模様が金糸で織り込まれてとても気に入っています。実はすごく動きやすく実用的で、私は2枚持っていますが今でもまだ履けるのです。
写真では光沢が見えないのですが、絹織物なので玉虫色のように光の加減で美しく輝きます。
まさか31年もたって、南米チリで日本人が着ているなんて、服自身もビックリでしょうね。
断捨離が日本ではもてはやされているようですが、私は日本からどうしても捨てられないものをチリにまで持ってきてることもあり、なかなかここからさらには物が捨てられないのです。
もう50歳も過ぎると、物を通して思い出があるのは嬉しいことです。
「ゴミ屋敷の住人!」と、いつも家族には馬鹿にされているけれど、一杯の思い出に埋もれているのは、恥ずかしいことではなく誇らしいことだって思っている今日この頃です。