毎日、良い事もあれば悪い事もある。
子供達が愛しい日もあれば憎らしくて恨めしい日もある。
伴侶がいて幸せだと思う瞬間もあれば、なんて亭主関白な男といるんだか、と辟易する日もある。
農業が素晴らしいと思う日もあれば、ヤギの糞を履く毎日に何の希望があるのかと思う日もある。
チリが好きだと思う日もあるが、この3年間はこの国の未来を不安に思うばかりだ。
日本が恋しいと思う日もあるが、それはもう20年前の幻影に過ぎないのかもと不安にもなる。
生きる事は素晴らしいと思う日もあれば、肉体労働だけして収入もなく、家族に仕えて何が素晴らしい人生なんだと毒づく日もある。
夢を叶えたいと思う日もあれば、もういい加減そういう青臭いこというのを止めろと自分自身に反吐が出そうになる日もある。
開墾してきた土地を誇らしく思う日もあれば、干ばつの激しさが虚しくてたまらない、この1年半。
やる気はあるのだが、坐骨神経痛の痛みにもう何年も本当にウンザリさせられている。
年は関係ない、なんて勢いは何処にも無い。
感受性がにぶっているのか映画やテレビが何も面白くないし、見る気が全く無い。
それなのに、誰かのことを心配したり、誰かを思い出したりすると、すぐ涙がポロポロ出る。
そういう、おばさん臭いというか、涙もろい自分がわざとらしくて嫌だ。
そんな毎日、猫の目のようにクルクル変わる自分の気持ちを持て余しているのが正直なところの、私だ。
ただ確実に、毎日も、これからもきっと変わらないことというのは母への感謝と愛情だけだろうと思う。
それしか揺るがない感情、と言えるものがない。
どうか神様、私の善良な母には特別な御加護を…といつも思っている。
今年で83歳になる母。
母の娘で本当に良かったと思う。
今、LINEの電話を切ったところで、これを書いている。
母と何気ない世間話をし、お天気の話、近所の人の話、子育ての話をし、カーブスへ行ってくるからね、と電話を切った母。
心身ともに健康で、明るい母と話すと、自分も少し勇気がもらえる。
有り難いことだ。
こうして親に感謝できる育て方をしてもらえたことは、何も自慢できる事のない私の中で、唯一揺るがない真実だと思う。