おしゃべりな私は、日本の母とLINEの電話で、どうでもいいことをあれこれよく長電話しています。


82歳になる母は

「もう最近テレビは全然面白く無いね。最近の日本では何でも言ったもん勝ちっていう感じなのよ、文句言う人ばっかり」

と、よくこぼします。



クレームがつくから、クレームがつかないように、どこもかしこもクレームを恐れて対応していると母は言うのです。




もう18年以上日本に住んでいない私の感覚は18年以上前からあんまり進んでいなくて、遅れたままだから気づかない事いっぱいあるけれど、母の言うように、今の世の中「言ったもん勝ち」なんでしょうかね?





今朝、ダラダラとスマホをいじっていたら、私の意見にドンピシャな記事を見つけて、物凄く興奮してしまいました。


その人は

小木曽健さん(国際大学GLOCOM客員研究員)

FORZA STYLEという雑誌?への掲載記事ですが、どれもこれも「そう!そう! こういうこと思っていたのよ〜!」と膝をうって同意したくなる記事ばかりでした。(以下、抜粋)


 



“世の中の多くを占める「まともな人」って、今回みたいなノイジーマイノリティに対して「アホだな」と感じつつも、実際は何もしません。わざわざネットで反論や指摘を投稿する人は稀です。だってバカバカしいから。

でもネットって投稿した人だけが存在する世界なんですよね。黙っている人、投稿しない人はゼロカウント、存在していない世界、それがネットです。

その結果、ネットは雑で的外れなノイジーマイノリティで溢れかえり、まるであたかもそれが主流意見であるかのように錯覚してしまう。最終的に世の中が妙な方向、ズレた方向に向かって走り出す可能性すらあるでしょう。

だから、くだらない、バカバカしい、指摘するでもない、みんな判っているような事でも「違いますよ」「アホですね」とネットでいちいち明確に指摘することは、それなりに必要な行為なのです。

この「いちいち」をやってこなかった結果、とんでもなく面倒な状況になっているのが、まさに今のテレビ業界でしょう。”

ー小木曽健ー


いや、もう、すっごく的確!

ノイジーマイノリティーという言葉も初めて聞いた私はググってみました。

「うるさい」「騒々しい」「声が大きい」といった旨が語源であり、「声の大きさ」、騒いでいるため、目立つが少数である者・彼らの意見を指す。彼らの言う通りにすると聞いた側は多数派の支持を失うため注意しないといけないとされ、批判的な意味合いが強い。その過激かつ積極的な姿勢のため、実際には少数派であるにもかかわらず、静かな多数派(いわゆるサイレント・マジョリティ)よりも目立つ傾向がある。実質的にクレーマーと同等の意味合いを持つ。
(wikipediaより)


この記事を読んで、母親がテレビを見ていて嫌になる気持ちも、私がSNSで投稿を見ていて嫌になる気持ちも同じ。何もアクションはしないけれど、ザラザラっとした不快感を感じているのです。

でもアクションはしない、黙っている。

それが大人の理想的な態度とは言えないけれど、あえて言わなくてもいいかと黙っているのが多くの人でしょう。それが静かな多数派です。



でも、アンタ、ブログ書いてるじゃん?何か言いたいことあるんでしょと指摘されるかもしれませんね。

私がブログを書いている目的というのは…と説明しようと思ったら、また小木曽健さんの別記事に、まさにこれ!という文章を見つけたので、以下に抜粋しました。私が下線をひきました。



“戦いのスタートラインに立てないのなら、走らずに勝つ方法を考えたって良いし、ルールを変えて戦っても良い、やればいい。そして「恵まれた環境のおかげだろ」とSNSに書き込んでいるだけの人には何も起きない。これは間違いないです。

そもそもこの時代の日本に生まれた時点で、相当「恵まれた環境」ですよ。衛生的で安全であり、銃で撃たれることもなく、テロも少なく、今のところミサイルも飛んできていない。平等に基礎教育を受けられ、安価で医者にも診てもらえ、表現の自由も担保されている。

他の国々の地獄絵図みたいな状況と比べたら、課題はありつつ、この時代の日本に生きていることが相当「恵まれている」のは事実でしょう。

私たちは性格やセンスも違えば生まれも育ちも違う。そこには間違いなく格差もある。「じゃあ楽しく生きるにはどうしたらいいのか」と考え、歩き出せる人が、本当の意味で恵まれている人なのだと思います。” ー小木曽健ー





私は、南米チリの山奥に住む山羊飼い農家です。

物凄くマイノリティーですよね。

でも私は、静かな少数派でいることに、それなりの意味があると思っています。




チリって本当にイケてない、と腹がたったり情けなくなることもある一方、いや、この部分は日本よりも良いかもと日々思ったりもします。

でもユートピアもディストピアも私は、無いと思っていて、結局は私達がどう世界を見るか、だけだと思っています。

日本は課題はあるにせよ、本当に恵まれています。

そこにいると見えない事も、日本から遠くにいるから見えることもあると思っています。





もう一度、小木曽健さんの言葉を繰り返します。

「じゃあ楽しく生きるにはどうしたらいいのか」と考え、歩き出せる人が、本当の意味で恵まれている人なのだと思います。

そう。
これなんです。

状況はどうであれ、楽しく生きるにはどうしたらいいか、考え、歩き出す。

そんなポジティブなことばかりを「言ったもん勝ち!」の世の中にしたいですね。

SNSへの投稿が“静かな多数派”の、楽しく生きることへシフトした内容ばかりだったら、声が大きい少数派クレーマーが恥ずかしくなってしまうんじゃないか!?

投稿した人だけがカウントされるネットの世界で、静かなる少数派であっても、ポツポツ書くことも、きっと何か価値があるはず。

そんなことを私は夢想しているんです。