(写真はネットから拝借しました)

ツール・ド・フランスがイタリアからスタートしたと、ネットのニュースで読みました。

ああ、もうそんな時期なんだなあ…、と。




今から35年以上前、高校1年生の夏にツール・ド・フランスという自転車レースのテレビ番組をたまたまNHKの特集で見て、私はすっかり魅せられてしまいました。

フランス全土を世界から集まった自転車のチームが7月に約4週に渡って競い合うロードレースなのですが、とてもドラマがあるのです。

その風景、過酷なレース、色とりどりのユニフォーム、黄色いジャージのマイヨジョーヌ、それからすっかりファンになったグレッグ・レモン選手…。

 



どれもが美しくて、高校生の私は7月のツール・ド・フランス開催時は新聞やテレビでチェックするのが楽しみになっていました。

今みたいにネットが無い時代ですからね。

新聞記事や立ち読みする自転車関係の雑誌でツール・ド・フランスの写真にウットリしていました。



高校3年生の8月、確か5日だったと思います。ツール・ド・フランスの特集のテレビ番組を録画予約しておいたのですが、時間の変更があったのか、雷か何かの停電で無効化されていたのか、録画されていない!


毎年この時期を楽しみに一年間待ちに待ち続けていたというのに録画がされていない、あまりにショックで悲しくて悔しくて、ビデオデッキの前でシクシクと突っ伏して泣いてしまいました。


その部屋にはガンで自宅療養していた父が横になっていましたが、「どうしたんだ?」とか「まあ泣くなよ」も何も言われませんでした。


その間30分ほど。

シクシク泣く私と無言の父。


私はこの時の父親を思い出すたびに
「父は典型的なアスペルガー症候群だったんだよな、私の嘆きを横に見ていても他人に何の関心もなかったんだ。」


そんなふうに長年にわたって少し恨みがましく思っていました。






それがやっと数年前に、私は自分の身勝手さと幼稚さに気づいて情けなくなりました。


父はその2、3日後に再入院しました。

体調は悪く、そんなビデオの録画が無かったことぐらいでシクシク泣く娘よりも彼のほうが泣きたい毎日だったでしょう。

食べては吐き戻す繰り返しですっかり痩せて、言葉を発するのも一苦労だったのに、死にたくないなあと毎日のように愚痴る父親をなんだか情けないなあとか、もういい加減にしてくれないかな、という気持ちで、距離を置いていたのは私の若さゆえの傲慢さ、思いやりの無さでした。


高校生の私にはまさか自分の父親が死ぬ瀬戸際にいると理解出来ていなかったし、現実を見ていなかったのです。




昭和一桁生まれの頑固な父は、小さい時から怖くて、優しい言葉もかけてくれない人でした。すぐ怒鳴られ、食べるのが遅いと拳骨で頭を叩かれ、涙が溢れたのが小さい頃の食卓の思い出です。

大きくなれば必要以上の会話をしないのが当たり前になっていて、こちらから父に働きかける気持ちが無かったのです。


父は私を慰めもしなかったけれど、私も父の不安と恐怖に寄り添いもしなかった。

お互いに話をしなかった。

あの30分の時間、同じ部屋にいたのに、お互いに何も話さなかったあの時間が父と二人で過ごした最後の時間でした。


結局父は入院して20日後、54歳で亡くなりました。

父がガンを発病したのは52歳のとき。
私も同じ年齢です。





この時の気持ちを鮮明に思い出したのは、オーディオブックでこの本を聴いていたときです。

岸見一郎「人生は苦である、でも死んではいけない」

 

 




死を恐れながら、まだ死にたくないと未練だらけで亡くなった父を眼前で見送った夜、
「自分は死を恐れないように後悔しないように生きよう」
と真夜中の真っ暗な病院の待合室で一人座り、心に決めた18歳の私でした。



果たして今はどうだろうか?

60歳になったら仏門に入りたいと若い頃から思っていたのに、あと8年でどうにも出家しそうに無い。

人生の成功、のようなものを手にしているわけでもない。

達観した人生訓を語れるほどに成熟もしていない。

後悔しないようにやりたい事をやろうと誓っていたのに、人生なんて後悔だらけ、ツギハギだらけで、毎日きょうのご飯の心配ばかりしている。


若い時の無知、傲慢、人の気持ちが分かっていなかったことにようやく気づき出したのはここ数年のことです。

日々自分の未熟さを思い知るわけです。


死は確かに終着地だが目的地ではない


人生は旅に例えられるが、旅の目的が何処かへ着くことだけではなく、そこへたどりつく過程こそが旅である、

という本の中の言葉に深くうなずきました。


死者も生者の生に貢献している


という言葉もありました。


父の死を反面教師に自分は生をもっと充実したものにしようと焦りながら生きてきたのですが、それは結局は死を怖がる父と同じ道を辿っていました。

昨年から今年の2月まで、私は体調が悪く、実は父と同じガンなのではと疑っていましたが、生を充実させねば死ねない!という強迫観念のようなものを抱いていたのです。結局全ての医療検査結果はシロ。より良く生きねばというのが逆に強いストレスになって胃をやられていたといってもいいでしょう。

生とは何かを「成す」ことではなく、「ある」ことである。
幸せとは成功することではなく、今あるものを感じることである、と。

岸見先生の言葉が滲みました。

私は何かを成すこと、どこかにたどり着くことにこだわり、今あるものを十分に感じられないまま若さを無駄にし、気がつけば歳を重ねてしまいました。




毎年7月になってツール・ド・フランスのニュースを見るたびに、あの夏の日を思い出します。

父に優しく出来なかった自分を後悔しつつも、あの夏の終わりに強く感じた、「生きるとは?」「死とは?」ということを常に自問自答していくことが、私なりの父への供養であり、私の精神活動の中心を貫いている、何か命題みたいなことだと思うのです。