以前、ネット記事で婚活中の女性が結婚相手に求める条件とは?ということで書かれていた記事を読みました。


以前は三高、つまり、高学歴、高収入、高身長。

それが今は高学歴、高収入、コミュニケーション能力が高い、だとか。


なんじゃそれ〜?ガーン


と、思ってしまったワタクシ昭和世代の五十路のオバハン。


「男は黙ってサッポロビール!」の世代です。笑い泣き

(古すぎる…)


話が上手で、相手を気遣った言葉を使う如才ない男。上司や同僚にも好かれ、奥さんとも上手くやっていくようなそんな小器用で軽い男でどーする!?と思ってしまう私は、圧倒的に古い価値観の女です。


男たるもの言葉足らずで周りと衝突しようと意見を曲げない意志の強い人間、それこそが男の中の男!と勝手に理想化してしまっているのが、私の大好きな小説、司馬遼太郎の「花神」の主人公、村田蔵六こと、後に近代兵制の創始者といわれる大村益次郎です。







歴史家にとっては「司馬史観」は史実とは違うと指摘するかもしれませんが、小説としてとにかく面白いのです。


「竜馬がゆく」「坂の上の雲」「峠」「世に棲む日々」「菜の花の沖」「功名が辻」色々読みましたが、私がダントツに惚れ込んでいるのが、この「花神」の村田蔵六です。


何がそんなに魅力かというと、この村田蔵六が徹底的なまでの合理主義者であり、おまけに名誉や金銭欲、政治欲からかけ離れた清廉な性格に描かれている点です。


類まれな頭の良さで、医学を教える緒方洪庵塾の塾頭を務めながらも村医者の親に請われて片田舎に引っ込む。


愛想もなく世間話も出来ないような医者なので流行らないのです。


その無口で無愛想な人物像は、アスペルガー症候群かと思われるほど、まず人の気持ちを思い図らないし、コミュニケーション能力などは極めて低いのですが、とにかく頭脳明晰なのです。



その後宇和島藩から呼ばれ「蒸気船と西洋式砲台を作れ」と命じられ、見たことも無いものをオランダ語の本を片っ端から読んで理論を理解して作り上げます。ペリーの黒船からわずか3年後の宇和島で蒸気船を動かしたのです。


それに大喜びした家老に

「当たり前のところまで持っていくのが技術というものです」

とバッサリ言い切るのです。


クールゥ〜!!びっくり


この辺は昭和世代の理系技術者などは胸を熱くしたんじゃないでしょうか?

「これ、俺や!」みたいに。




この「花神」が連載されていた時代は昭和44年から46年。ちょうどワタシが生まれたころですが、時代背景は、大学紛争、学生運動などが華やかな、かなり荒々しい世相ですね。


世界同時革命という妄言や共産主義の空論に酔っていた若者の起こす大学紛争を筆者も読者も苦々しく思っていたのではないかと勝手に想像するのです。





長州藩の若い藩士が尊王攘夷論の政治談義にあけくれる一方で、夜は芸者遊びに散財していたような状況とは全く正反対に、村田蔵六は一人でコツコツと書物を読み研究に没頭するのです。


武士階級でもなく、自分を農民出身の村医者だと言いながら、軍事は武士階級の豪胆さや勇猛さとは無縁の、徹底した戦略を練った機能と技術の世界であることを読解していくのです。


このあたりの冷静な合理主義の村田蔵六を通して、精神論で到底無理な太平洋戦争に突入していった歴史に対する司馬遼太郎の批判的視点も感じられるのです。





そして、その村田蔵六を慕うのがシーボルトの娘で産科の日本初の女医となる美しい女性、イネ。


このイネの切ない恋慕が、アスペルガー的な、昨今の感覚からはあまりモテそうでもない村田蔵六という男の本当の魅力を知る素晴らしい女性として描かれていて、作品に彩りを与えています。



村田蔵六は満身創痍だった長州藩を幕府軍との戦いに勝たせ、形勢を逆転していき、ついにはこの長州藩が倒幕の動きを加速させ、倒幕軍の総司令官となります。


ここの指揮が、余人をもって替えがたいのです。


江戸城を開城させ明治の世が来てまもなく、政治的狂人らに襲われ、明治2年に45歳で没しました。





幕末期というのはとてもドラマチックで、司馬遼太郎の本のおかげもあって坂本龍馬や西郷隆盛ファンというのは多いと思います。


カリスマ性、政治力、リーダーシップ色々語られますが、大村益次郎という人は人間の器どうこうのテーマで人を魅了しているわけではないと思います。


軍事というのは精神論ではなくて徹底的に理系であり、数字とデータの積み重ねなんだと気付かされるのがこの本の面白さであり、大村益次郎の偉大さです。




世の中、ややもすると声の大きい人のセンセーショナルな物言いが脚光を浴びたり、情念によって時代の空気が形成されていきます。



私達は自分たちの見たいものしか見ない認知バイアスを持っているように、幕末期の下級武士も尊王攘夷を謳いながら、自分たちの武士階級が終わることは想像できず、自分が殿様になる夢を見ていたかもしれません。


50年前に学生運動をしていた若者も、自分たちの理想の共産主義社会しか見ていなかったのかもしれません。


私達には科学者の思考が必要なのです。



感情で現実認識を曇らせることのない冷静さが必要なのです。



幕末の混乱期、尊王攘夷運動による妄言、空論が飛び交った時代、革命は政治的狂人が為すものではなく、最後には冷静な科学的思考による技術者が完成させるのだ、そう思わされるのです。




花神とは中国の言葉で花咲か爺さん。日本全土に革命の花を咲かせた軍事的才能のある技術者村田蔵六が彗星のごとく現れて消えるのがこの「花神」という小説の面白さです。



…しびれます。


何度読んでも面白くって、痛快なんです。


コミュニケーション能力のある無しなど、人間の本当の魅力を知るバロメーターにはならないということがよく分かるのです。