なかなか心の整理がつかず、書けなかったのですが、先月、長年飼ってきた山羊たちの大部分とお別れしました。


2013年、3頭から飼いだして気がつけばほぼ50頭に膨れ上がっていた頭数。


「オス、メス、コドモから年より山羊まで、50頭をどうやって世話していくのか?」


これが、昨年から私がフルタイムで街で働くようになってからずっと悩んできたことでした。


昨年の搾乳の時期は、朝6時半に息子と娘を連れて街へ車で出勤し、8時から18時まで勤務、夜19時半に子供達と家に着くとすぐさま着替えて20頭のヤギの乳を搾りチーズを作り、終って自宅に戻るともう10時、11時という毎日。


「もう山羊飼いをやめようよ」


と何度も連れ合いのグスタボに相談するも、


「せっかくここまで増えたのに」とか、
「補助事業通ったのだから続けなきゃ」

とか言われて却下。
大喧嘩になることたびたび。

毎日自宅にいる彼は山羊の乳さえ搾らない、というか、搾れない!つまり私のみ乳搾り要員。



私の帰宅が遅く、小屋が暗くなってできない日もあり、時間をかけて世話してあげられず乳房炎を起こしたヤギも出てしまいました。2月に日本へ一時帰国した際に、乳搾りシーズンは終了させました。


ヤギたちへの申し訳無さや、罪悪感。

グスタボに
「誰かに引き取ってもらえない?」
というと
「無料で山羊をやる?そんな慈善事業するヤツなんているわけないだろ」
と言われる。


じゃあ誰が買ってくれるというの?

私たちよりもっと貧しいヤギ農家に買い取る財力なんかないのに。


老いたグランドータ、
4つの乳房を抱えたイメルダちゃん、
まっさきに干し肉にされる運命。


でも私はとてもじゃないが手をくだせない。

オスの山羊、グスタビートとアロルディート。

どうする?種付け用にそんなにオスは要らない。
もうグスタビートは年配だから引退させるべき。
でもどうやってあんな巨体を始末できる?

何頭いるかも分からないほどのたくさんのオスの子ヤギ、あれを全部と殺するかと思うと…


もう、完全にメンタル病むわ、私…。



そう思うたびにこの数カ月深いため息をついていました。



この3月からは町に子供2人と住むようになり、週末に山へ帰ってもヤギ小屋に近づくことすら避けていました。田舎でグスタボと一緒に暮らす次男が世話を続けていました。



それが急転直下の大変化が起きたのです!!!


ある市の公営の法律相談事務所から法学研修生の欠員が出て、グスタボが研修生として働けることが決まったのです!


グスタボは今年で72歳。


昨年、7年かけてようやく法学部を修了しましたが、弁護士になるためには6ヶ月間の無給の研修の修了と、司法試験が必須です。


だから6ヶ月の研修はとても大事なプロセスですが、11月まで空きがないと言われていたのにイキナリのお呼び出しがかかったのです。


大喜びではしゃぐグスタボ。
本当におめでとう!!


そしてその次の週、ヤギ飼い研修会に出たあと、

「アマドールさんにうちのヤギ引き取らないかって声をかけたら、日曜にトラックで連れに来てくれるって」

と思いがけないグスタボの言葉。


えええ?!


突然180度の大転換。


グスタボも週に3日フルタイムで弁護士見習いとして働くことが決まり、いよいよ山羊を50頭も維持できない事実を無視できなくなったので、手放すしかないという決断に至ったようです。


ああ、ついに!


ついに訪れたヤギ達との別れ。


寂しさよりも大きな大きな安堵感!


アマドールさんは典型的な山羊飼い。馬に乗って山羊の放牧に出て、アンデス山脈に草が生えれば仮小屋で夏は生活しながら山羊チーズつくる人だもの。きっとうちの子たちもずっと安心して暮らせる。


別れの日。


久しぶりに小屋に入ると、ワラワラと山羊の群れに取り囲まれました。


今日でお別れなんだ。


胸がきゅうっと締め付けられました。


メスを3頭だけ残すことにしました。


甘えん坊のベティちゃん
良く乳をだすバルバラ
乳の形状からとても乳絞りが楽なニコル


人工授精で補助事業で生まれた子ヤギ計4頭。あとは焼き肉用にと殺を依頼されているオス仔ヤギ4頭。結局計11頭だけ残すこととして残り37頭とお別れすることにしました。


ボスヤギのエレナと息子トマス、娘のアナ、
気の強い暴れん坊キンバリー
長年の付き合いだったウマ、ウルスラ姉妹
ナチータ、ヒメナ、乳の量は多いのに出が悪くて腕が疲れた。
乳房炎のジュリアナとジャネラには苦労させられた。
最後まで捕まえるのに苦労した跳躍力凄すぎるスサナ。
一番懐っこいジセラ、4つの乳房のイメルダ、ジセラの母。


毎日毎日ジセラに乳を飲ますために必死にイメルダをひっつかまえて乳を飲ませたあの一昨年の苦労…。

イメルダの母のグランドータ。
一番の高齢になっちゃったね。
あんたのお母さんのカフェ・コン・レーチェはここで老衰するまで看取ってあげられたのに、ごめんねグランドータ、よく頑張って、本当によくお乳だしてくれてありがとう。


ああ、ああ…。


あのヤギ、このヤギ。


皆、みんな、ありがとう。


ごめんね、悪いけど、やっと開放されて本当に嬉しい。


別れは寂しいけど、これであなた達のことを悩まなくてすむのが嬉しい。


やっと開放されるんだ、万歳!!



でも、ヤギをつんだアマドールさんのトラックがゴトゴト出発すると、ついに私も、感極まって大人げなく声をあげて泣いてしまいました。


発達障害でいつも山羊の世話をしてくれている18歳の次男も


「みんな〜、元気で暮らすんだよ〜!」


と叫び、その息子の無邪気さと優しさに、さらに落涙。

13年の思い出がどっと胸に押し寄せてきました。


いつも子供達の成長とともに山羊飼いの労働と、喜びと悲しみとチーズづくりの研鑽や苦労、家族の暮らしがありました。


3頭だけのころ、長男は学校へ行く前、制服に長靴履きで乳搾りを手伝ってくれ、それからスクールバス乗り場4kmの場所まで車で連れて行ってました。小さいころから自分の時間を犠牲にしてヤギ飼いを手伝ってくれた子供たち。夏休みは山へ放牧に交代で出かけてくれた思春期の子供たち。


子ヤギが生まれると大喜びで抱き上げて一緒にヤギ小屋で子ヤギと遊んでいたあの無邪気な幼かった子供はもういない。
彼らも20歳、18歳、16歳。

グスタボの法律家としての人生のスタート。
私のフルタイムの日本文化担当という大学のオフィスでの仕事。


どれも昨年までは全く想像もしなかったことです。


次男は高校、あと5か月で卒業。彼にできる仕事を継続しようとヤギ飼いを続けてきたけれど、彼がヤギ飼いをしたくないと言い出した昨年から彼の人生設計を考える必要にせまられていました。


でも境界知能でこだわりの強い次男に出来る仕事ってあるだろうか?


家族の変化に、50頭のヤギの飼育は現実的では無くなっていました。


家族の変化は突然やってくるのですね。


そこでは、個人の執着や損得勘定や好き嫌いを捨ててでも、家族にとっての最善の策を考えなくてはいけないのでしょう。


これでいいんだ。


これしかないんだ。


アマドールさんのところで、ヤギたちみんな長生きしていい子でね。


いつか必ず会いに行くから。


こうして37頭とのお別れは無事に終わりました。


自分にのしかかっていた50頭の命の重み、大きな心配と不安の塊を下すことができ、本当に安心しました。