織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。




弐拾弐問目答え・解説


答えは①大一大万大吉です。
②百万一心は毛利元就が定めた家訓です。
③天下布武は知っての通り織田信長の言葉です。
④義は上杉景勝の旗に書かれていた文字です。父の上杉謙信は毘沙門天の毘の字を掲げていました。




さて、問題に参りましょう。





弐拾参問目


長宗我部家が完全に滅亡したのはいつ?


①四国攻め
②朝鮮出兵
③関ヶ原の戦い
④大坂夏の陣



答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。



弐拾壱問目答え・解説


答えは④河越夜戦です。
北条綱成の居城河越城は、上杉・足利連合軍の八万の軍勢に包囲されていました。
対する北条側は、綱成軍三千と、援軍の氏康軍五千の合わせて八千。
氏康に勝ち目はないと思われていました。
氏康は、このとき上杉・足利連合軍に踊り子を送り込み、敵を油断させました。
そして、夜に、綱成と打ち合わせて奇襲をかけました。
氏康は、兵に鎧を捨てさせ、恩賞を約束し、兵を死に物狂いで戦わせました。
そして、北条軍は勝利し、関東進出のきっかけとなりました。




さて、問題に参りましょう。



弐拾弐問目


石田三成の家紋に書いてある言葉は?



①大一大万大吉
②百万一心
③天下布武
④義


答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。



弐拾問目答え・解説


答えは③肥前の熊です。
隆信は、主人の少弐家を追放し、肥前を瞬く間に統一しました。
そして、激しい気性だったため、肥前の熊と恐れられました。
隆信は太っており、馬には乗れず、輿に乗って戦いました。
そのため、沖田畷の戦いで島津歳久に狙撃され、戦死しました。




さて、問題に参りましょう。



弐拾壱問目


北条氏康が上杉・足利連合軍を破った戦いと言えば?


①第一次国府台合戦
②第二次国府台合戦
③八幡原の戦い
④河越夜戦




答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。
 
 
 
いよいよ今月から大河ドラマが始まりましたね。
というわけで、大河ドラマについて少しずつ解説していきたいと思います。
 
 
真田家
大河ドラマ第1回の前まで話します。
 
真田家は、信州の豪族です。
元々は海野家という一族で、信濃の小さな家でした。
その海野家に三男として生まれた幸隆は、分家として真田家を名乗りました。
この幸隆、いまいち出世コースには乗れず、目立った活躍はありませんでした。
ところが、武田家の武田信玄に出会ったことで、幸隆の人生は一気に開けます。
信玄は、幸隆を試すため、幸隆に砥石城を落とせと命令します。
砥石城は、勇将村上義清の立てこもる城で、難攻不落の城でした。
信玄は過去この城を落とそうとして、失敗しています。
幸隆は、この城を力で落とすのは無理だと判断しました。
そこで、幸隆は砥石城に使者を送り込み、義清の家臣と接触しました。
その家臣を幸隆は内通させ、城内から反乱を起こさせました。
砥石城は陥落し、幸隆は名実とともに戦国の世に名乗りを上げました。
幸隆の息子は、武田家臣団に加えられ、長男の信綱、次男の昌輝、三男の昌幸は武田二十四将の一人に数えられました。
しかし、幸隆の死後、信綱と昌幸が長篠の戦いで戦死し、真田家は三男の昌幸が継ぎました。
 
 
 
 
 
昌幸については次回書きます。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。



拾九問目答え・解説


答えは④源氏物語です。
謙信は熱心な仏教徒だったりと、都の文化に憧れてるように思えます。
源氏物語を謙信が読む、そんな場面を想像すると、今までの謙信像が覆ります。
②孫子の兵法は、武田信玄の愛読書です。
風林火山、という言葉も、ここからきています。




さて、問題に参りましょう。



弐拾問目

龍造寺隆信のあだ名は?


①肥前の狼
②肥前の虎
③肥前の熊
④肥前の鷹



答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。




拾八問目答え・解説


答えは②徳川家康です。
メガネはこの頃に南蛮から伝わりました。
享年七十五と長命であった家康は老眼で、老眼鏡を掛けていたそうです。
家康は、キセルを吸ったり、天ぷらを食べたりと南蛮文化には結構ふれていました。
ですが、家康はキリスト教には反対の立場をとりました。




さて、問題に参りましょう。



拾九問目


上杉謙信の愛読書は?


①太平記
②孫子の兵法
③平家物語
④源氏物語




答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。



拾七問目答え・解説


答えは①織田信長です。
信長には、信広という兄がいました。
ただ、信広は側室の子だったので、信長が跡継ぎとなりました。
④武田信玄の幼名は太郎といい、長男であることが一目瞭然です。



さて、問題に参りましょう。




拾八問目


次の内、メガネをかけていたのは?


①豊臣秀吉
②徳川家康
③伊達政宗
④宇喜多秀家




答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。




拾六問目答え・解説


答えは③京都御所です。
①本能寺は、信長が自害した場所、②安土城は信長の本拠地で本能寺の変で焼失した場所、④高野山は弔いの聖地です。
高野山については、武装をしており、信長に対しては友好的でしたが、跡を継いだ豊臣秀吉には敵対し、その後降伏しました。



さて、問題に参りましょう。



拾七問目


長男として生まれてないのは?



①織田信長
②豊臣秀吉
③徳川家康
④武田信玄




答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。



拾五問目答え・解説

答えは①賢政です。
浅井家は当初同じ近江の六角家に従っていました。
長政は、六角家当主六角義賢から一字もらって賢政と名乗っていました。
しかし、浅井家は朝倉家を頼って六角家の下を離れ、独立しました。
その時、賢政は名を長政と改めました。
②亮政は長政の祖父、③久政は父、④亮親は叔父です。



さて、問題に参りましょう。




拾六問目


次の内、織田信長の墓が無いのは?



①本能寺
②安土城
③京都御所
④高野山


答えは次回です。お楽しみに。
織田のぶながです。



まず、前回の答えと解説から。



拾四問目答え・解説

答えは③蜻蛉切です。
槍の穂先に蜻蛉が止まったら、蜻蛉が真っ二つに切れたので、蜻蛉切という異名がつきました。
①片鎌槍は加藤清正が使った槍で、片方しか鎌がついていなかったから片鎌槍と呼ばれました。
②十文字槍は、真田幸村などが使っていた槍で、横にも槍がついていて、十文字になっていました。
④三間槍は、長い槍で、織田信長などが好みました。



さて、問題に参りましょう。




拾五問目


浅井長政の元の名は?

①賢政
②亮政
③久政
④亮親



答えは次回です。お楽しみに。