NHKより
背負えなかったランドセル
「新しい友達ができるかな…」
入学式で期待や不安で胸をいっぱいに膨らませていた新入生たちは今、どんな学校生活を送っているんでしょうか。ぴかぴかのランドセルに初めて腕を通して学校の門をくぐるのは親子にとってかけがえのない瞬間だったと思います。だけど、この女の子にそのときは訪れませんでした。このランドセルは6年間、使われることはありません。(熊本放送局記者 杉本宙矢)
背負うはずの女の子

宮崎花梨ちゃん(当時4歳)はどこにでもいる活発な女の子。部屋にはかわいらしいキャラクターの人形やぬいぐるみがずらりと並びます。特技のお絵かきに加えて、歌や踊りも大好きです。
ただ一つ違っていたのは…
そんな花梨ちゃんがただ一つ、他の子と違っていたのはある病気を持っていたこと。「完全型房室中隔欠損症」、生まれながらの心臓病でした。
小児心臓外科の医師によれば、この病気では心臓の壁に穴が空き、自分では全身に血液と酸素をうまく送ることができません。そのため、24時間、特殊な装置からチューブで酸素を取り込む必要があります。専門医のいる病院でないと治療・入院は難しいといいます。
花梨ちゃんも、九州でも数少ない、専門医のいる熊本市にある熊本市民病院で治療を受けていました。
家族の願い
「娘を外で思いきり遊ばせてあげたい」
母親のさくらさんは花梨ちゃんに心臓の手術を受けさせることを決めます。手術はおよそ5時間におよびましたが無事成功。
「これでよくなるよね」
そう信じてさくらさんたち家族は術後の容体を見守っていました。そんなやさきでした。
熊本地震が襲う
花梨ちゃんを熊本地震が襲ったのです。術後の経過観察のため、病院の集中治療室(ICU)にいた花梨ちゃんは安静が絶対条件でした。

しかし、2度の大きな揺れで、病院のライフラインは途絶。倒壊の危険性も指摘され、病院は300人を超える入院患者全員の緊急避難を決めたのです。花梨ちゃんも転院を余儀なくされました。
地震で100キロ離れた福岡の病院へ

「こんな状態で運ぶなんて聞いたことがない」
「途中で心臓が止まるかもしれない」
移動させるのはただでさえ危険な状態にもかかわらず、熊本市周辺には受け入れができる病院はありませんでした。
結局、花梨ちゃんが搬送されたのはおよそ100キロ離れた福岡の病院。そこで母親のさくらさんが目にした花梨ちゃんの姿は全身がむくみ、素人目にも危険な状態だったといいます。
その後、容体は次第に悪化。そして、転院して5日後の明け方、静かに息を引き取りました。
転院で関連死に認定
「娘はなぜ転院しなければならなかったのか。安全なはずと信じていた病院がなぜ…」
うちひしがれたさくらさんが知ったのは驚がくの事実でした。花梨ちゃんの入院していた熊本市民病院は病棟の一部が耐震基準を満たしていない状態だったのです。資材の高騰などを理由に、熊本市は建て替えを延期していました。

さらに、ライフラインの被害想定も甘く、医療に欠かせない清潔な水などが十分に確保できなくなっていたのです。
地震から4か月。花梨ちゃんは災害関連死と認定されました。転院時の負担が大きな要因だとされました。
転院は「想定外」なのか
「手術が終わったら、幼稚園に行っていっぱい遊ぼうね」
手術の直前、花梨ちゃんはさくらさんとこう約束していたといいます。

そのために花梨ちゃんは苦手な注射やお薬も頑張り続け、小さな体で大きな手術も乗り切りました。大好きなお母さんと思い切り一緒に遊べるようになるはずでした。
そんな娘の頑張りをむだにしたくない…。さくらさんは二度と同じような悲劇を繰り返してほしくないと立ち上がります。
実は地震の前、熊本県内の214病院の4割近く、全国でも3割強の2597病院で、花梨ちゃんが入院していた病院と同じように、国の耐震基準を十分に満たしていませんでした。
家族に迷惑かけまいと当初は断っていた取材を受け、娘の死、病院の耐震化や被災時の備えの重要性を訴え続けました。
「地震を相手に怒ってもどうしようもない。でも病院では、もう二度と同じことを繰り返してほしくない」
さくらさんの行動はついには行政も動かします。去年5月、病院を管理する熊本市の大西一史市長が直接面会して謝罪。さらに、建て替えられる熊本市民病院について「全国の防災の模範にする」と約束してくれました。
2年目の春、ランドセルとともに
「私が死んだら花梨に会えるのかなって…」
さくらさんはいまもふとした瞬間に心が沈み、こうした思いにかられることがあるといいます。そうしたときにあるものを手にとって元気をもらっています。それがこのピンクのランドセルです。

去年、さくらさんは花梨ちゃんに会いたくて、会いたくて、泣いてばかりいた時期があったといいます。
そんなある日、夢に花梨ちゃんがでてきてくれました。夢の中の花梨ちゃんはいつも付けていた酸素ボンベのチューブはなく、元気に走り回っていました。そして、笑顔いっぱいで自慢げにポーズをとって背負っていたランドセルを見せてくれたといいます。
このあと、さくらさんはすぐにランドセルを購入。その夢をきっかけに、ランドセルを眺めると、夢の中のあの花梨ちゃんの姿を思いだし、いつも元気をもらえるといいます。
「私が泣いてばかりいるので花梨が夢にでてきてくれて励ましてくれたのだと思います。それからですかね。うつむいてばかりいちゃダメだと思えるようになったのは」

そして、入学式の季節。さくらさんはランドセルを抱え、花梨ちゃんが入学予定だった小学校を訪れていました。校門前で桜の木を見上げながら語ってくれました。
「これから6年間、このランドセルが私たちを支えてくれるかなと思います」
地震から2年、さくらさんの視線は少し前を見つめているようでした。
取材の後に

私が初めて会ったときのさくらさんは、はかなげで口かずの少ないおとなしそうな女性という印象でしたが、花梨ちゃんの話を聞かせてもらうごとにあふれ出てくる言葉に力強さとともに母の深い愛を感じました。そして、ランドセルは花梨ちゃんがさくらさんの心の中で、いまもたしかに生き続けている証しなのだと思います。