怒鳴り声、愚痴。


 耳に付かない日はなかった。


 「離婚したら?」

母への助言なのに「食べていけないから」との理由で、息が苦しい子ども時代を送っていた。


 私がテレビやゲームの音に集中してたのは、一種の逃避行動だったと思う。


 そんなこと、親には分からない。


 「勉強しなさい」

その声はノイズとなってることに気づかれない。


 自分の耳が疲れ果てているから。休みなんて与えてもらえないもの。


 今なら、養護施設が保護するレベルではあるだろうが、当時、罵声や暴力を振るわれるかもしれないという恐怖だけでは、動くものではなかった。


 疲れてるのは親も同じ。


 それなら、子どもが疲れるって、かなりレベル高いのではないかと思う。


 私が「何もせずに眠ってたい」と言っても、親はSOSに気づかなかった。


 それでも私は親になりたかった。子どもを見れる親になりたかった。


 そして、親にさせてくれなかった夫は、外でフェロモンを振り撒いていたようだった。


 身内に恵まれない。


 小学校四年生の私に母親は言った。


 「これ以上、おろしたくなかったから、産んだんや」



  それなら、産まないでよ。産んでほしくなかった。


 だって、一度たりとて


 「産んでくれてありがとう」と思ったことはないのだから。


 でも、ひとつだけ確信を持った。


 私は、両親ではない、他のたった1人の人に、呼ばれて、生まれてきたのだと。


 いま、この兵庫の地でーー


 涙が海に溶けぬよう、生きてまいります。