プッチーニとマスカーニの若書きのオペラのダブルビル。マスカーニは26歳のときに初演された『カヴァレリア・ルスティカーナ』が事実上の代表作で、上演回数も多い。プッチーニ25歳の作『妖精ヴィッリ』は上演の機会は多くなく、個人的に初めて観る(ずっと観たかった)。5歳年上のプッチーニとマスカーニは友人でありライバルであり、お互いの才能を認めつつも心の中では熱い火花を散らしていた。藤原歌劇団のこのダブルビルはオペラのパッションが歌手とオケによって大きな炎となり、観客の熱狂度は明らかにいつものオペラ上演より激しく、体感としてはロック・コンサートのようだった。
『妖精ヴィッリ』の自筆譜はごちゃごちゃしていて見づらい、と当時のコンクールの審査員の作曲家から苦言があったという。冒頭から長いオーケストラの演奏、ワーグナーのような合唱、後半にはビゼーの『真珠とり』のような独特の節回しのテノールのソロもあり、ヒロインのパートはその後のプッチーニの名作のハイライトを思い起こさせる甘美なもの。恋する登場人物が歌う旋律は、『マノン・レスコー』でも『ラ・ボエーム』でも『トスカ』でも陶酔的で美しい。『妖精ヴィッリ』はプッチーニのオペラへの憧れがすべて詰まった作品で、特にワーグナーへの憧憬を強く感じた。名作オペラの魅惑的な要素がかき集められていて、作曲家のミーハーともいえる「オペラ萌え」のスピリットから出来上がっている。
このオペラを観ることが出来て本当に良かった。プッチーニのスタートラインはここで、インスピレーション過剰なままとりあえず処女作を書いてしまったという体当たり感が満載で、プッチーニを愛する自分としては「最初からすべてここにあったのだ」とほくそ笑まずにはいられなかった。唐突にナレーションが入って物語の展開を説明するあたり、ずいぶん垢ぬけない仕掛けなのだが…ここで作曲家はオペラにおける台本の重要さを身に沁みて実感したとのだ思う。
柴田真郁さんの指揮は卓越しており、東フィルからイマジナティヴでゴージャスなサウンドを引き出し、最初から最後まで緊張感が途切れず、演劇効果にも優れていた。ピットから見える二台のハープが素敵な音を奏でる。オーケストラのレスポンスが最高で、百戦錬磨のプレイヤーたちが、プッチーニの珍しいオペラを成功させることをひとつの使命にしているように感じられた。
岩田達宗さんの演出も素晴らしい。合唱も主役も白い儀礼的なコスチュームで、映画『ミッドサマー』を彷彿させる。この白い共同体の中で治まるべき平和が破られたとき、超自然的な嵐が起こる。恋人アンナ(迫田美帆さん)を裏切り、都会で放蕩の限りを尽くしたロベルト(所谷直生さん)は、アンナの亡霊と森の乙女の怨霊によって死に至る…なるほど、ヴィッリとは『ジゼル』のウィリのことだったのか。バレエでは美しいバレリーナたちが怨霊の乙女を演じるが、オペラでは髑髏の面をつけた合唱とダンサーが不実な男を囲い込む。ロベルトはフランスオペラのアリアのような力強いメロディで悔恨の情を歌うが、女の怒りは命乞いを許されない。このあたり、ワーグナーは救済の乙女を描くけれど、イタリアオペラはそうはいかないのが面白い。
『妖精ヴィッリ』が終わって、これから『カヴァレリア・ルスティカーナ』を聴けるのは夢のようだと思った。先輩プッチーニの、宗教音楽家の家系のDNAが宿った『ヴィッリ』には、マスカーニの出世作とそっくりの響きがあり、プッチーニが先なので、『カヴァレリア』にはマスカーニのプッチーニに対する憧れと嫉妬が感じ取れる。マスカーニが温厚で人格者で、レオンカヴァッロがトラブルメイカーであった…という説はよく聞くが、プログラムによるとマスカーニも相当性格の強い人物で、師に反発して音楽院を退学となり、オペレッタの一座で働いていたと記述されている。若くして苦労人の道を歩み、作曲家として勝負に出たのが『カヴァレリア・ルスティカーナ』だったのだ。
冒頭の弦とハープの響きを聴いた瞬間に、うわっと押し寄せてくるものがあった。明らかなる名作のオーラ。初演から聴衆に愛され、作曲家が60回ものカーテンコールに引き出されたという逸話がある。国内外の様々なプロダクションで親しんできたが、指揮とオケが冴えていることもあり、作曲家の並々ならぬ知性と感性の鋭さを一番に感じた。ひとつのオペラとしてすべての段取りが整っており、ヴェリズモ的な激情の上にオーロラのような大きな光が見える。あのオペラの始まりの、至福のひとふしは永遠に忘れられない。
合唱も素晴らしい。聴き慣れた『オレンジの花…』が、演出では一組ずつのカップルになっている男女から聴こえてきて、ただ揃っている合唱ではなく、夫婦のそれぞれの歌のようで、どうやってあの響きを作ったのか知りたいと思った。サントゥッツァ小林厚子さんは悲しみの極みにいるヒロインをダイナミックな声量で歌い上げ、今まで観た小林さんのどの役にも似ていなかった。トゥリッドゥ藤田卓也さんはワイルドで、我儘で激しい愛に溺れる男を演じていたが、それ以上にタフに見えたのがトゥリッドゥの不倫相手ローラの夫アルフィオで、森口賢二さんがマフィア風の装束で子分を引き連れて「すぐにキレる」怖い男を熱演。岩田さん演出のアルフィオは、このオペラの間奏曲を使った『ゴッドファーザー』へのオマージュなのかも知れない。
ローラの髙橋未来子さんはゴージャスな貴婦人として登場し、強くて豊かなアルフィオの妻に相応しかった。この演出では、かつて自分の恋人だったローラにトゥリッドゥが骨抜きになったのは「昔より美しくゴージャスになった女への二度惚れ」だったからではないかと思わせた。ローラはアルフィオが夫であることを誇らしく思っているようでもある。トゥリッドゥの母ルチアはメゾソプラノの米谷朋子さんが演じ、若くて美しいルチアなので新たな恋敵かと一瞬思ってしまったが、サントゥッツァとルチアのやり取りは見事で、オペラでもこの二人の対話は特に重要だと再認識した。
トゥリッドゥがサントゥッツァを蹴散らす無情な二重唱は、自分自身の人生の過去の出来事などが念頭に去来して、正気で観ていられないほどだった。情動的にこれほど激しい場面が他のオペラにあるだろうか。マリア・カラスは74年の来日リサイタルで、ディ・ステファノとこの二重唱を歌っているが、舞台裏ではオナシスに捨てられて絶望していたカラスがステファノの結婚を請い、「お前の財産を寄越すなら結婚してやる」と酷いことを言われていた…と聞いたことがある。それでこの歌を歌うか。
アルフィオにローラの不倫を密告したサントゥッツァがマリア像の前で崩れ落ち、静寂の中で嗚咽するのはこの演出のオリジナルで、かの間奏曲はその秘めやかな苦しみの余白の後で鳴り響くのだ。20代の若僧がこんなものをどうして書けたのだろうか。そしてそれがほぼ唯一の傑作となってしまった運命にも不思議さを感じる。「ライバルを超える傑作を書かせてください」とオペラの神様に魂を差し出し、その後に魂を返してもらえなかったマスカーニの悲運を思った。
東京文化会館がオペラの喝采であれほど熱くなったのは初めて観た。もちろん海外の有名歌劇場の来日公演での喝采も盛大だが、この日は合唱終わりや普段拍手が起こらない歌手でもリアクションがあり、新鮮な感触があった。
藤原歌劇団の新しい風も感じられた公演だった。プログラムやポスターのヴィジュアル、「カヴァレリア」の公演記念Tシャツ(イラストがプリントされている)の販売、作品をもっと知るためのQRコードつきのカードの配布、歌手たちによるお見送りなど、公演本体の素晴らしさに加えて、色々な場面で飛び出してくる積極性があった。
この公演から二週間と空かずに、二期会も『カヴァレリア・ルスティカーナ』を上演する(バッティストーニ指揮・ミキエレット演出)。お馴染みの『道化師』とのダブルビルだが、オペラファンにとっては格好の聴き比べの機会となった。プッチーニはマスカーニの傑作を観て、その後の名作を妥協のない台本で書き続けたのだから、競うことは意味がある。この2月のヴェリズモ祭りは偶然だったと思うが…先発の藤原歌劇団は、素晴らしい上演で客席を湧かせてくれた。

