●一頃はやった千の風になって・・だったか、クラシック歌手が歌ったヒット曲中に、お墓参りをしてる親族に、故人が「 いいえ私はこんなとこにはいません。千の風になってそこらじゅうを飛び回っています。」・・・と言うのがあった。

●コレは日本人のお墓感を少なからず変えたのじゃないかと思っている。言われて見ればそうだよね・・・都心から何時間もかかるお墓の石の下に・・魂まで閉じ込められてるっていう感じ方・見方も出来るよね?

●人の死に準備ができてないと、葬儀の費用その他がアバウトになって、葬儀社だけが潤うってのは、しばらく続いていたわけだ。

イオングループが葬祭業に乗り出して、明朗会計をうたって、お布施の額まで目安を示したことで仏教会が反発している。確か外国人の葬儀社も参入したと記憶している。

●最近は葬祭の流れは地味になり、家族だけのスタイルや、直葬と言って儀式としての通夜や葬式をせずに火葬のみおこない、代わりに少人数の会席を設けて故人をしのぶ・・・または葬儀・告別式と火葬を1日で行う1日葬(ワンデイセレモニー)などスタイルが市民権を得てきている。

●手元供養と言って、お墓を作らず遺灰を身近なペンダントやレリーフに入れ込んで、自宅に置き、いつも一緒にいるスタイルをとる人も増えた。海や山への散骨だと拝む対象が無くなると言うこともあるらしい。

共同納骨堂やマンション墓も増えた。樹木葬といって墓は作らず、桜の木の下に埋葬するなども増えているらしい。考えて見ればいろんな考えがあって、いかに今までいわゆるお寺や葬儀社・墓石業界の常識が居座っていたか?と言う感じもするよね?

●長生きになり介護状態になったあとに亡くなると、残すお金がなくなってしまい葬儀さえも挙げられないと言う現実もあるらしい。

●確かに忙しい現代、葬儀は親戚縁者が集まって個人をしのび、思い出として自分のなかに収め、人が年老いて死んでいく理(ことわり)を受け止め、併せて自分自身の存在も考えて見る機会として大切なものだろう。

●お寺が葬式仏教になり下がっていると言う批判もかねてからある。地方の末寺などの経営は厳しく、宗派を維持する上納金なども負担になってるようだ。

●商売や事業をやってる場合はそうもいかないかもしれないが、普通の人の場合、形式的な葬式より、小型でもその人らしい葬式を望む人が増えてるという。好きだった、音楽を流したり、思い出写真を展示したりなどが定番だ。

●婚礼も同じような傾向で、こちらは対象が若いだけに、参列者が10人以下のスタイルで・・らしく行うのが今風になってきている。

確かに婚礼にたいそうなお金をかけるのなら、マンションの頭金にでもしたほうが現実的といえる。終身雇用の崩れてきた現実や、年金など将来の収入が不透明になってる現代、生活防衛のためにも地味婚は生まれるべくして出てきたスタイルと言えるのではないか?