『対談 最後まで諦めず進化し続ける~医師の使命に生きて~を読んで』
M.E.
今月の課題文3つの内、その内容から標記記事を迷わず選んだ。57頁4段目大岩先生曰く、「そこで挑戦したのが当時最先端の胸腔鏡手術です。それまで肺がんや気胸の手術では胸を大きく開き、筋肉や肋骨を断つのが一般的でした。対する胸腔鏡手術は、胸に一~三センチの小さな穴を三つほど開け、胸腔鏡(内視鏡)と専門器具を入れて患部を切除する。患者さんの負担が少なく、回復が早いんです。」と。今から20年ほど前、私は正にこの胸腔鏡手術を自然気胸治療の為に受けたのでその当時を振り返ってみた。気胸とは肺に穴が開き呼吸による酸素の入れ替えに制限が生じ息苦しくなる症状である。私の場合、自然気胸といい、青年期に急激に身長が伸びたので肺の成長がそのスピードに追い付かずに引っ張られ一部分に穴が開いたのだ。大学一年の時これを経験し、病院を受診すると一週間ほどなるべく動かず安静にしていれば自然に治癒すると言われたので下宿で寝ていたところ確かに穴は塞がった。その時の医者のコメントだとこの疾病は痩せた背の高い若い男性に多いと言われ、大概は一生に一度罹患すればその後再発することは無いとも言われ安心した。ところが、その後30歳代後半に再び胸に違和感を覚え病院を受診したところこの自然気胸が再発していた。そして、この時も前回と同じように自宅にて一週間ほどおとなしくしていたら穴が塞がり自然治癒した。ただ、その時のドクターの見立てだと今度3回目が再発したらその時は手術を覚悟してくださいと言われたのだった。時が経過し、40代半ばになって三たび胸に違和感を感じたので嫌な予感を抱きながら前回と同じ病院を受診したところ案の定、自然気胸が再発していた。無駄だと思いつつ今まで通りとりあえず1週間の自宅での安静を試みたが胸の違和感は治癒されなかったのでやむなく手術に移行した。その時担当医から告げられたのは手術をこの病院でするのか提携している名市大付属病院でするのかを選択してくださいと。私は迷った挙句その診断を受けた病院を選んだ。これには私しか知らない密かな決意が込められていた。というのはその自然気胸3度目の手術の3年ほど前、同じ病院で母親が肺がん手術後に病院内で亡くなっており、手術は成功したと聞かされICUから一般病棟に移った後に術後の処置が悪かったのか血栓が心臓に入って心筋梗塞にて亡くなったと伝えられた。なぜ一般病棟移動後に亡くならなくてはならないのか、医療過誤ではないのかという疑問を持たざるを得なかった。そしてモヤモヤした気持ちのままその後はその病院の前を通るのを自然と避けるようになった。この流れからすれば3度目の手術はその病院ではなく附属病院とするのが順当な決断だろうが、そこで深く考えてみた。母親に対する処置が医療過誤なのかそうでないのかは自分の手術をもって判断してみようと。この病院は昔からある地元の中小病院であり附属病院や豊明のF病院からしたら遥に弱小であり評判もマチマチであるが、それとは別に抱えた疑問点はこの手術とその後の処置をもって判断しようと・・。
さて、手術の当日、病院最上階に処置室がありテレビドラマのとおりストレッチャーから入室し手術台に乗せられ覚悟を決めた。おや!?看護師の動きが一般病棟の方とは明らかに違う!手術に立ち会えるだけの経験と自信を持った看護師であることが彼女らの動きからにじみ出る気合によってこちらにも伝わってくる。すると執刀医が話しかけてきて「曲は何がいいですか?」と。きょ、曲?そういえば手術室のBGMに何かポップスの曲が流れていた。今から全身麻酔なんだからどうせ聞こえやしないと思いながらも、そう来るか?なら忌野清志郎をお願いします!と応えたら、清志郎は無いなぁ・・・と。じゃあ、ハードロック!先生の好きなハードロックで!と投げ返すと、あー、いいねそうしよう!と先生が応えたのでこの瞬間、この手術は絶対成功すると確信した、と同時に麻酔によって深い深い眠りについた・・・。目が覚めると胸に3つの管が嵌っていた。