いまここ塾 禅コラボ in 大阪 | 心きらめくSpecial Days

心きらめくSpecial Days

日々の想いを綴っています

今回は 禅 ZEN というタイトルで


阿部さんのお知り合いの 向(むかい)禅師さんが

来られました。


2時間 ワークショップでは お経、座禅など

休憩をはさんで

お話中心に

最後にシメの お経を読んでくださいました。


向禅師さんは

とっても 気さくな方で

大阪出身だけあって おもしろい方でした。

ほんとにフレンドリーな方です。

(フツーのお坊さん というイメージです)


禅の修行というのは


余計なものを 取っていく作業


私たちは 大いなる宇宙の意識なんですが

自我(エゴ)=命根があり

思いにとらわれているので


身心脱落させる境地を 目指すのが 座禅です。


座禅では 

目は 半眼にして

腹式呼吸で 呼吸に意識を集中します。

肩の力を抜いて

何も思わないようにします。



考えないようにするのは

家では 難しいのですが

このときは 周りの雰囲気もあって

いつもより うまく行った気がします。



私たちは あるがままでいいのに

「あるべき姿」 理想的なものになるように

刷り込まれてきました。


慈愛があふれて 静かに微笑んで

仏かキリストのようにならなければだめ

かのように 植えつけられてきたけれど


あるがまま  と  あるべき姿を目指す は

相反する もの


自分を信頼しきる

今 何をしていても そいう流れ、必要だから起きている


南無 というのは 帰依 

絶対的信頼をもって 身も心も 投げ出す

~ 脱落の境地

  神の器になりきって ふと身を差し出す  という感じ


天におまかせ ということなんでしょうね。



ところで 阿部さんたちのように 見性体験がないと

悟ったことにならないか

という 質問された方がおられたようで

それについて 説明してくださいました。

向禅師さんが出合ったおばあさんは

常に 感謝、感謝の人で

普通に 感謝して生きている人も

自然に 悟っていることになるんではないかという

ことです。



瞑想と違って

内観 ということについて


お二人が今までに どういう内観されたのかというと


自分が今まで 何人の人に 誰に出合って

どんなことをしてもらったか 与えてもらったか

などについて 思い出す

という機会があったそうです。




私も 親、とくに母親の愛情や やってくれたことに

そのまま お返しできるようなものではないなあ

と 思うほど 母の愛は深いと感じます。


なので それを 自分の子どもに与えるわけですが

どっちか言うと

私なんか 


やってやってる! と 


恩に着せてる気がするなあ~ あ~~  恥ずかし (/ω\)あせる



ここまでで

色んな人に支えられて 生きてきている

そんなことを たまには 思い出す機会・・

内観が 持てればいいですね。