ねこうさです。
時系列で綴っていく予定でしたが、かなり記憶が曖昧で所々ですが違っていましたので、第5話は何回か訂正しました。
今回もちょっと話が前後します
「国境を越えて友人宅まで遊びに行き、イキイキと冒険を楽しむ娘。」それは小学3年生頃からの事です。
小1と小2をすっ飛ばしてしまったので抜かした時期を第6話で載せます
入学した公立小学校と相性が悪く2年生まで親子共苦しんでいた事をすっかり忘れていました…
幼稚園在籍時に、国立小学校のお受験を一時検討していたのでお受験塾へ通っていたのですが、
娘の毎朝1時間大号泣の恒例行事+バス通学30分を考えて受験を断念し、徒歩10分の公立小学校に入学する事になります。
残念ながら入学式の記憶は私の記憶にはありませんが、通っていた私立幼稚園との雰囲気の差に違和感を感じた事だけは残っています。
そして、入学後初めての三者面談。
「うちの学校は、成績なんてどうでも良いんです。運動だけ頑張って下さい。夏休みに運動場を開放しますのでご家族で使って下さいね!」と、担任からそれだけを言われました。
そして、その違和感は決定的になります…
新学年の4月に保護者のクラス役員を2名選出する訳ですが、子供の名前が掲載してあるクラス名簿と投票用紙を子供がお手紙と一緒に持ち帰ってくるだけ…
どなたが立候補なさっているのか全くわかりません。
5組まであるマンモス校。保護者さん達とは全くお会いしていないので私はどの方に投票して良いのか分からずに1名分は空欄で提出しました…
当日の放課後に担任から電話があり
「何を真面目に考えてるんですか?こんなの適当に上から順番に○を付けて投票するだけですよ!皆さんそうしてますよ!」と衝撃的な投票方法のご伝授を頂きました
もちろん先生のご伝授通り、あ行の方がクラス役員さんでした。
幼稚園在籍の頃は担任が先に保護者さんにお電話をし候補を絞ってその方達の中で役員を決め、初回の懇談会で発表という形でした。
だいたい声掛けがある方はクリニックを経営されているご家庭の専業主婦さんでしたので、色々と余裕のない我が家はいつも安心して園と役員さんに全てを委ねていました。
のに!
個人情報保護法で各家庭の状況がわからないとしても、じゃ、それなら!誰でも構わない!という地元校の雑な決め方に戸惑い、学校に不信感を待ちます。
そして、嫌な事が続きます…
娘が体育の時間に怪我をしたり、登校を渋ったりと1年生の時にはなかったトラブルが出てきました。発達センターからは「怪我は心の乱れなので注意して観察してください」との事。
何があったのかと思い教室の前まで送っていく様になりました。私が頻繁に教室まで送る事に不快感を表した担任から衝撃の言葉!
『何でそんなに過保護なんですか?
煩い男子の口にガムテープを貼ったり、机を蹴飛ばせばクラス全員が静かになり全員従いますよ。
お母さんの躾が悪いからお子さんが親に従わず登校を渋るんじゃないですか?』
他にも云々と色々お話をされましたが、余りの衝撃で他の記憶はありません!
もうね、耳を疑いましたよ。こんな教師がいるなんて!戦時中じゃないんです!
今からたった10年前の平成ですよ…
私の感覚は間違いないと思い、近所のママさん達にその話をしても「あの先生は熱血で助かっているのよ」と何も問題にしていない様子。
あぁ、もう、違和感なんてもんじゃありません!
地域ぐるみで何か欠落しています。ここには居られない!と決心します。
発達センターに事情を話し、面談の予約を入れました。以前から年1回のペースでお世話になっていましたが、今回は深刻です。ここではじめてWISCIIIの検査を受けました。
はじめて娘のIQを知ります。
全IQ131でした。
この数字を見てセンター長が即座に「娘さんにはこの学校は合わない、学校を変えましょう。」
(通常ならは心理士はこの様な物言いはしません。しかし既に信頼関係がありましたのでこの様な会話まで一気に発展しています。)
「この子にはどこの学区なら合いそうですか?私は学区かな、と思っていますけど。」
さすが発達センター。地域の特性を把握していて「娘さんに合わないのはS校区とT校区。そうですねぇ…学区は合うと思いますよ。学区も悪くないですね」
(ここの時点で、これから娘が健やかな生活を持続的に送れる様にと、国立大学のDrを紹介して貰ったのです。)
そして、センター長自ら在籍中の小学校を直ぐに訪問して下さり、娘のWISC結果から話をして下さいました。
保健所の訪問後、担任は娘の前で声を荒げない様になりました。しかし担任は相当ショックを受けた様で腫れ物に触る様な対応になってしまいました。それはそれでちょっと的外れでして…
時代についていけてない先生なのかと一瞬可哀想になりましたけど…
そんな事より我が子を守る事に必死でした。
早急に動いて下さった保健所のセンターには今でも本当に感謝しています。この早い判断が無ければ今頃、娘の心は折れていたかも知れません。そして私の心もどうかなっていたと思います。それくらい辛い出来事でした。
さぁ、新しい小学校へ行こう!
そして、学区に新しいお家を建てました。勘が鋭くて風水好きなイギリスのママもメールでアドバイスをくれたり、帰国中は一緒に土地探しに付き合ってくれました。
更にイギリスママの家と近くなりましたなんと自動車で10分の距離から徒歩5分に!いやもうこれはご縁としか言いようがありません。
そして、晴れて学校へ転校手続き!
潰しが効く様に学区と学区の境目に住み、学校へ通う事になりました。
転校時に保健室の先生から「小学校へ転校するのね… ここは合わなかったね…」と、静かに言われました。分かっていても言えない事があるのですね。
でも、こことはサヨウナラ!
新しい生活が始まります。
娘、小学3年生です。
⑦に続く。