ねこうさです。



↓このブログの最後に書いた、エディトリアルデザインの続きがようやく完成し、

郵送到着受理されました(←ハードルはここから)



↓第1課題はこちらのブログに掲載





第2課題は〝与えられたテーマの中で作品を制作し、それを考察する〟

麻布を使って作品を2つ作りました。


テーマは「省略と純化」

教科書には〝フォント〟〝ピクトグラム〟などグラフィックデザインが作品例として記載されていました。

フォントは、手描き文字が→コンピュータ文字へ(アナログからデジタルへ)

ピクトグラムは、言語イメージを→絵気号へ(煩雑から簡素へ)


私は敢えてアナログ作品を作りました。




この作品を作ろうと思ったけっかけは、祖母の百寿のお祝いです。昨年の敬老の日に内閣総理大臣から表彰状と銀杯が贈呈された事です。

記念写真を見た瞬間、驚きがありました。

祖母の顔はとても穏やかで仏の様に見えたのです。


その時に、

私の中の憑き物がスルッと居なくなりました。


失敗は誰かのせいなんかじゃ無い

決定権は自分自身なんだ。と気付かされました。


不満だらけで生きて来た自分が恥ずかしくなりました。


実は自分の人生を恨んでいました。

男尊女卑の家庭で産まれて

弟との差に不満を持っていました。

特に進路の事では親を憎んでいました。

弟は2カ国も留学させて貰い

今でも世界中を飛び回っている。


一方、私は自力で短大、

独学を認められ人間科学は

知人のセンター長の紹介で

大学院にねじ込んで貰いましたが

スタッフとして働いただけで

何の実績もありません。

そんな自分を惨めだと思っていました。


学校を欠席させてでも

長子の女子に家事を手伝わせる

支配的な親を心底憎んでいました。





私が経験した男尊女卑は今の時代なら許される事ではありません。



でも、私の不満って…

祖母と比較してしまうとちっぽけな物なのかも…


祖母は大正、昭和と生き抜いてWW2も経験しています。その世代の自由とは何だったのか…


私が感じた不自由や苦悩とは質が違うはず、

しかし、生きていればどんな時代であろうと必ず困難に直面する。


祖母が直面したであろう苦難と

私が惨めだと感じていた苦悩…



〝混沌〟と〝刹那〟を表現しました。

誰かを襲った後です。襲われた後かも知れません。

これは人間の半生を表しています。

(もちろん私の半生でもあります)




「人生の省略と純化」(370*1100mm)

染め物に挑戦しました。麻布をタンパク浸け3回の後、墨汁で3回染めあげました。綺麗に染まったチャコールグレーを破壊したのは勿体無かったのですが〝混沌〟と〝刹那〟なので我慢。

染め上げた後も洗って、洗って、100回濯いで、くたびれたざまを表現。



↓一方、こちらは

極楽や天上界のような軽い様子を表しています。

一生を全うすると、潤いがなくなり体はどんどん軽くなっていきます。それと同時に記憶も曖昧になり若い頃に感じた苦しい記憶が無くなり穏やかな表情に変わっていきます。

人生を全うした者だけが体験する

「省略と純化」です。

(私も憑き物がとれて少し軽くなった…)




こちらは白い麻布に和紙を糊で貼り付けました。定番の吉祥和紙をメインに、二枚重ねのティッシュを1枚に剥がした程の薄〜い和紙を幾重にも重ねていきました。




この作品で1番のお気に入りの部分は

フリンジです!



フリンジ大好き💕





第二課題は作品と考察文に手をかけすぎて、

エディトリアルデザインの手を抜いてしまいました…

デザイナーとして、あるまじき行為なのでそれのブログ掲載は無し真顔