昭和27年11月7日7番目のレース場として芦屋競艇が初開催を行った日です。今年で61年~当時の様子を祖父が昔書いた記事から少しm(__)m


タイミングがとりづらい芦屋ボート~


全国で7番目九州で2番目の開場は芦屋競艇場。現在の芦屋競艇場は小高い丘の上緑に囲まれた人工池、プールといった感じのたたずまいは場内はともかく、外から見る限り水辺の公園である。芦屋競艇場がここに移ったのは昭和44年4月10日。初開催(昭和27年11月7日)時の芦屋競艇場はここからさほど遠くない遠賀川の河口近くにあった。

遠賀川は英彦山に源を発し、今は閉山しているが、かって『黒いダイヤ』で一世を風靡した筑豊炭田地帯を北に流れ響灘に注いでいる。

その河口は万葉にうたわれた崗の湊、河口の右岸が古い城跡の山麓、この山麓と遠賀川、川岸の間に競艇場があった。

遠賀川といえば、それまで船で運んでいた筑豊炭を鉄道でと、今の筑豊本線の前身、私鉄筑豊鉄道が計画された時当時の芦屋町民がこの鉄道の乗り入れに反対したため起点は若松にとってかわられた。そのために石炭積み出し港芦屋の繁栄は若松に奪いさらわれてしまった。そのあたりの事は火野葦平氏の花と龍などの書かれている。川筋気質というか荒々しさの中にほのぼのとした飾りっ気のない人たちが織りなす物語が好きで何冊も読みあさった。中でも『どてらばあさん』が痛快だった。

戦時中に西に隣接する三里松原にの中に陸軍の飛行場ができ、戦後それはアメリカ軍輸送基地として使用された。アメリカ映画あしやからの飛行はここが舞台。

川、河口のレースコースは初開催時の津、三国、唐津、江戸川もそうだが津も三国も唐津もそしてここ芦屋も後年移転している。まあその話は後にして初開催時の芦屋競艇場に話を戻そう。

レースコースは川だから、流れのある事は当然。そのあたりのことは、初めから織り込み済みだったのだが選手たちは流れに悩まされた。スタートは流れに逆らって川上に向かってするのだが、その流れが一定であればそれなりのタイミングでスタートする事ができるのだが、流れがきままに変わるのでタイミングがとりづらい。川の流れが川上から川下が普通だが、河口という事もあって、上げ潮という事になると、流れが川下から川上になることもある。こうなると選手も戸惑う。そのあたりの情報は競技本部からその都度伝えられるのだが、こういった経験の少ない選手には大きなハンデにもなった。

61年前の芦屋かなりの難コースだったようです~

この頃の景色を想像しながら明日も朝からモーニングレース少し買ってみようかなと思っています~m(__)m