前回の続きですm(__)m昭和26年8月25日長崎県モーターボート養成会が発足、新聞広告を出して入所者募集すると100余人の希望者の中から一次合格者を59人に2次試験で30人に絞りレース場近くの水明荘で合宿、1カ月の養成訓練を開始した。訓練費は1カ月千円他に若干の燃料費も微収したようだ。訓練を始めた頃は前回の話で書いた大発を装着したボートと大型ボートで訓練していたがやがて大村市が注文していたレース用モーター(キヌタ15馬力)20基とボート(東京隅田川造船所制作)20隻それに競走会が注文していたモーター(キヌタ12馬力)とボート2隻が到着した。こうして訓練も軌道に乗りますが
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当初長崎ではこの年の9月に第1回の開催をする予定でレース場の方は完成開催準備をしていたのですが肝心の連合会の発足が遅れ(昭和26年11月28日設立)審判や選手の登録ができないので9月はおろか年内の開催もできなくなりました。この遅れに伴い選手養成その他運営費や人件費で準備されていた運営資金が底をついたようで…苦肉の策いや打開策で提案されたのが西日本アマチュアモーターボート選手権大会で昭和26年11月25日内外への宣伝と従事する人の研修大村市民に対する緩和剤として開催された。当日午前11時から開催され観客は一万人余り地元大村長崎はもちろんのこと、佐賀、福岡、遠くは四国、関西方面からも多数の来場者が有った。場内には、なぜ?だか大村電報電話局の出張所が開局されていたほか売店なども立ち並び県営バスや国鉄の臨時列車も増発された。レースは予選6レース決勝1レースの予定でしたが3レースが終わった頃から北西の風が強く風速10メートルを超えレース続行が不可能となったので予選残り3レースと決勝は12月2日に延期となった。資金難の打開策で開催されましたがさらなる出費を余儀なくされる事に、ただ新たに始まるモーターボートレースの宣伝効果は間違いなくあり初開催への導火線になったと~


初開催の4か月前にこんなレースが行われていたとは…一万人余りの観衆初めて見るモーターボートのレースだったかと思いますおそらく大興奮だったかと~m(__)m写真は当時の訓練で使われていたキヌタ15馬力です。