それから弁護士の奥さん(心理カウンセラー)のいる
メンタルクリニックに通院する事になった。

すぐに投薬療法を開始し、思い出しては泣き
叫び、注射を打ちの繰り返しが続いた。


街に出るとベビーカーを押しながら楽しそうに
歩いている家族連れやお腹が大きい人が
羨ましく思えた。
そして自然と目を逸らすようになった。

ママ友達とも次第に距離をとるようになり
気がついたら連絡も会う事もなくなった。

実家に届いたベビーカーや洋服、おもちゃ類
など両親は私に内緒でそっと片付けていた。


だって、私は最愛の息子をダンナから奪うことは
出来なかった。


そして1歳のままで止まっている私の中の息子の顔。



一生消えることない心の傷。




そんな時、ふと自殺願望が浮かんできた。



気づいたら病院のベッドにいた。


約200錠以上の眠剤を多量服薬し救急車で
搬送され4日間眠ったままだったそうだ。

それからはOD(大量服薬)を繰り返しては病院へ
搬送され、胃洗浄したりを繰り返し、次第に
エスカレートし今度は首を吊るようになっていった。

クリニックのベットで横になっていると近くにあるタオル
で首を巻き気付けばまた病院へ搬送されベットにいた。

それから買い物依存症になり、気付けばルイヴィトンや
グッチのバックを買ったり、洋服を手当たり次第買い
あさったりしていた。

そうお店の店員さんはお客である私に買ってもらおうと
親しげに話しかけてくるんだけど、私にはそれがとっても
友達みたいな感覚で、まるで心の隙間を埋めるかのような
ものだった。



親権を言い渡された。

ダンナは仕事も続けており収入もあり

子供も父親であるダンナになついている事。

ダンナの家の状況も整っており、母親も専業主婦
、母親の姉妹もいる為、ダンナが仕事へ行っても
面倒を見てくれる人がいる事。

そして水腎症を患っている息子を医者である父親や
兄がいる事。


私は仕事を既に退職しており、その退職は自分自身により
辞めた事であり、収入もなく息子と離れて1年も経って
いる事から親権はダンナへと決定した。


面会は1年に3度だけ。それも息子の環境や状況によっては
面会は出来なくなる事があると。


担当してくれた弁護士はここまで私を追い込み、そして鬱病
を発症した事に裁判所で争えばきっと慰謝料も請求できると
言ってくれたが、その為にはまだまだ費用がかかる。

私はその弁護士の意向を断ってこれで調停を終了する事にした。

最後に調停員がご主人が3人でディズニーランドへ行かないかと
言ってますがどうですか?
と聞かれたが、私は断った。

だって、楽しい思い出は出来るけど最後は息子と別れる事になる。




そして今後一切面会もしないと調停員に告げた。


だって、もしこの先新しい「ママ」が現れるかもしれないし・・・。


全て息子の今後を考えての結論だった。




調停最後の席で私は調停員、調査官、弁護士全てに叫んだ。


「私の息子を返してよ!!あんた達には息子と別れるこんな辛い
思いなんてしたことないでしょ!!」

何度も泣いて叫んだ。

泣いた。


叫んだ。


母親は「もう終わったんだよ。いつかきっと逢いに来る日が来るよ。」
って。

母親も初孫でとても可愛がっていたし、父親も本当はショックだった
だろう。
家族で泣いた日が続いた。


私は「ママ」って呼ばれることはなかった。

息子はよく泣く子で手がかかる子で・・・。

気がつけば寝返りが出来る様になって・・・
気がつけばタッチが出来る様になって・・・
気がつけば「あーうー」って言えるようになって・・・


私も息子も一緒に成長してきた。



いつも一緒にベビーカーでお散歩行ったり、車に乗ってバァバに
逢いに行って公園で一緒にブランコに乗ったり・・・。
マンゴーを手に取って美味しそうにはしゃいで食べたり、おもちゃが
大好きでよく一緒に遊んだ。
お庭のプールでビデオ撮りながら3人で遊んだりした。




私の手元には育児日記が残っただけ。


息子はもういない。


今は小学生。


息子も新しい「ママ」と楽しい生活を送っているだろう。



きっと大きくなっていくあなたを見れるのは私が永遠に目を
閉じた時だろう。









私は度々、身体・・・心の不調を訴えるように
なった。

弁護士事務所で今後の親権について話を
していると気分が悪くなり突然わめきだした。

急いでその弁護士さんが奥さんに連絡を取り
近くでたまたま講演を見にきていたメンタル
クリニックの先生が駆けつけてくれた。

その弁護士の奥さんは心理カウンセラーで
その先生と弁護士事務所の近くまで講演会に
参加されていた。

それが一番最初に出会った先生でもあり
鬱発症へとなった。

クリニックに着いて注射を打ってもらった。
さっきまでわめいて興奮していたのが一気に
治まった。

しばらくして自宅へ帰り、家で休んだ。

休んでも眠れない日々が続いた。
いつも一緒にいるはずの息子がいない。

心にポッカリ穴が開いたようだった。

調停が進む中、親権について争うことになった。

そしてある日、家裁の調査員が訪ねて来た。
それはどちらの家が子供にとって家族、家庭が
育てる環境がいいのかを調べるものだった。

そこで、私の実家を調査に訪れた調査官がこう言った。


「まず、奥さんはお仕事辞めていますよね。ですから
多分、親権を取るのはまず難しいでしょう。」
と・・・。

何故か涙が出なかった。

あまりのショックで涙が出なかった。

そして、どうすれば私が親権を取れるのか子供に逢えるのか
弁護士も必死で過去の判例を見たりこちらが少しでも
有利になるようにと色々と手を尽くしてくれた。

調停から約1年後、親権の決定を言い渡される日が来た。