県別第14弾は三重県!
三重県のランキングと情勢分析
【ランキング】
① 実績ポイントランキング
1 四日市中央工業 65
2 海星 56
3 三重 49
4 津工業 45
5 四日市工業 33
6 近大高専 29
7 宇治山田商業 26
8 伊賀白鳳 14
9 鈴鹿 7
10 松阪工業 4
10 いなべ総合 4
12 上野 3
13 桑名西 2
13 久居農林 2
13 津東 2
13 名張 2
13 津西 2
13 四日市四郷 2
13 川越 2
13 暁 2
2 海星 56
3 三重 49
4 津工業 45
5 四日市工業 33
6 近大高専 29
7 宇治山田商業 26
8 伊賀白鳳 14
9 鈴鹿 7
10 松阪工業 4
10 いなべ総合 4
12 上野 3
13 桑名西 2
13 久居農林 2
13 津東 2
13 名張 2
13 津西 2
13 四日市四郷 2
13 川越 2
13 暁 2
※実績ポイントとは
近3年間の公式戦(選手権、インターハイ、新人戦、リーグ戦)の実績をベースに、
管理人が独自の計算式で算出したオリジナルのポイントです。
あくまで過去の実績のため、現時点での強さを計るものではありませんが、
その都道府県内での強豪どあいを表すものとしてご理解いただければ幸いです。
なお、近3年の県内大会でベスト8以上のチームを集計対象としてます。
また、各県ごとに計算式を変えているため、全国共通のポイントではありません。
② 全国大会出場回数
(近10年の選手権・インターハイ)
1 四日市中央工業 10回
2 三重 5回
3 海星 3回
4 宇治山田商業 1回
5 伊賀白鳳 1回
③ 選手権全国大会出場回数ベスト6
(現存校のみ)
※カッコ内は全国大会での最高成績
1 四日市中央工業 34回 (優勝)
2 上野工業 12回 (ベスト8)
3 上野 11回 (準優勝)
4 四日市工業 2回 (3回戦)
4 津工業 2回 (ベスト4)
4 海星 2回 (1回戦)
全国優勝は四日市中央工業が達成
上野工業は2011年に伊賀白鳳に統合
【情勢分析】
①歴史
三重県の高校サッカーといえば四日市中央工業をイメージするファンは多いだろう。
1960年代までは、上野と上野工業(後の伊賀白鳳)が覇権を争っていた時代。
1970年代に四日市中央工業、通称・四中工が台頭すると、様相は一変する。
四中工を率いたのは、城雄士監督。
まさにゼロから全国優勝に導き、多くの優秀な選手や指導者を輩出し、高校サッカー界に多大な影響を与え、「日本高校サッカー界の父」とも称される伝説的名将だ。
1963年に城監督自らが四中工サッカー部を創部した。
当時三重県にはサッカーの名門と称される高校はなく、サッカー部自体も三重県内に数えるほどしかなかったという。
城氏もそれまでは監督未経験。
しかも創部当初は、部員もサッカー未経験者ばかりで「全国優勝」はおろか、部員数も10人程度で試合がなんとかできるレベルだった。
初めての練習試合では、前後半で陣地が変わるというルールすら、選手は知らなかったというエピソードが残っている。
城監督は、部員たちと一緒にグラウンドを少しずつ整備しつつ広げ、木製のゴールを手作りしたそうだ。
1972年に四中工が選手権全国大会に初出場。
1973年には早くも、選手権全国でベスト4に入ると、1977年には全国準優勝を果たす。
このころからすでに三重県の絶対王者として君臨しつつつあった。
1980年代から1990年代にかけては、まさに四中工の黄金期。
1983年・84年には、インターハイ全国大会で連覇を達成。
1985年から1994年にかけては、10年連続で選手権全国へ出場。
この間、優勝1回、準優勝1回、ベスト4を1回、ベスト8を3回という驚異的な成績を残し、全国トップレベルの強豪校として、四中工いう名を全国に知らしめた。
特に小倉隆史・中西永輔・中田一三ら「四中工三羽がらす」が活躍した1991年度の第70回全国高校サッカー選手権の決勝戦、東京代表・帝京との決戦では、歴史的大激闘の末、延長2-2で両校優勝という劇的な結果に終わり、長い高校サッカーの歴史の中でも、この試合を史上最高の決勝戦と称えるファンも多い。
また、この試合の終盤1点ビハインドの状況で、エースの小倉隆史が叩き込んだ起死回生のダイビングヘッドゴールは、今でも高校サッカー選手権の名ゴールシーンにその映像が使われているほど、鮮烈な印象を残した。
余談だか、当時サッカー部だった筆者の周りでも、みんな小倉のまねをして、無駄にダイビングヘッドして、監督に怒られていた記憶がある(笑)
それ以後は、やや四中工は低迷。
2000年代に入ると、津工業・海星・三重が台頭。
2003年には三重がインターハイ全国に出場。
2007年には津工業がインターハイと選手権と両方で全国大会へ出場し、
選手権では全国ベスト4まで進出した。
2009には海星がインターハイ全国に出場。
その後再び四中工が盛り返し、2008~2013年は6年連続で選手権全国出場。
後の日本代表選手・浅野拓磨を擁した2011年は準優勝を果たした。
以後は、海星と三重がさらに成長。
2016年には海星が選手権全国大会に初出場。
2017年には三重がインターハイ全国に加え、、選手権全国大会にも初出場し、県内2冠を奪取。
四日市中央工業と激戦を繰り広げるようになった。
②2021年の展望
上記の実績ポイントランキングが示す通り、四日市中央工業が三重県の盟主であることは間違いない。
四中工の選手権全国出場34回というのは、出場回数では全国歴代4位タイの記録。
選手権全国大会での勝利数60勝というのは、全国歴代3位の記録。
まさに三重県高校サッカーの「顔」だ。
四中工は三重県勢で唯一、現在プリンスリーグ東海に所属しており、強度の高いリーグ戦を経験できているのは大きなアドバンテージだ。
しかし、近年の四中工は年によって成績にかなり波があることも事実。
2020年は全国ベスト8まで進出したが、2016~17年は全国に一度も出場できなかった。
年によっては、四中工に勝つ力があるのが、海星と三重。
近3年の公式戦(インターハイ、選手権、新人戦)の対戦成績は
四中工 vs 海星は、四中工の7勝3敗、
四中工 vs 三重は、四中工の3勝1敗1分
トータルでは四中工にやや分があるが、海星は20年選手権県大会で、過去2年決勝で負けていた四中工に勝利し、雪辱を果たした。
三重は21年新人戦で四中工を破るなど、勢いがある。
特に海星は、近3年の10戦中、6戦が1点差の勝負、1戦がPK戦というように、四中工とは激戦を繰り広げており、1点差勝負となった6戦中3回勝利するなど、勝負強さを発揮している。
さらには、20年選手権県大会準優勝で、県リーグを2位で終えた四日市工業は近年かなり力をつけてきている。
過去に全国ベスト4の経験もある津工業も、毎年安定した成績を残す。
三重の盟主・四中工がその座を守るか、海星・三重・津工業・四日市工業らがその座を奪うか、今年の三重の高校サッカーからは目が離せない。
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