栄華を誇ると、後継が絶えやすくなる気がします。
子だくさんだった徳川家康、中興の祖吉宗。
ですが幕末において徳川家の跡取り問題は複雑です。
諸藩においても後継が絶えれば御家断絶。
そんな中、男子が四人も育った枝葉の美濃高須藩。
三万石の小藩ながら、その息子たちは御三家の後継になり、御三卿の後継になり、京都所司代、京都守護職を務め、激動の幕末に翻弄されていきます。
水戸徳川家の七男慶喜に翻弄された四兄弟。
まったくの他人でない人たちが、立場を変えてやり取りをしていたというのは知りませんでした。
将軍職を辞した慶喜が趣味に生きたのは知っていましたが、四兄弟の長兄尾張徳川家の慶勝も写真をよくしたというのは、やはり血のつながりなのかもと思いました。
部屋住になることがなかったのが、良かったのか悪かったのかはわかりませんが、徳川の誇りを持って上に立つものとして家臣のことを考え、朝廷を大切に思っていたことも伝わってきました。
変わる時期に来ていたとしても、変えていく強さ、変わることによる歪みをどう受け止めるべきなのか、熟考する様は、今の政治家にはみられないもののようで、この国の羅針盤はどこにあるのかとふと不安になりました。