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『おじさん』と私の この気持ちって、特定の人にしかわからないんでしょうか?私の場合は、あんな父でしたけど、私の好きな枇杷の木を最後に植えて、父は私に言わずに逝きました。
父は、後から私がわかれば良かったんだと思います。昭和の父ですよね。晩年はこんな性格も垣間見ました。
病院では『お前が結婚をしたら、そこに家を建てて、コンビニでもやって(収入源)住め、後はお前が考えてゆく事だ』と言っていたんです。
と、言う事は、私がもしそこへ家を建て住んだなら、父の植えた枇杷の木がある。私に子供でもできたなら、枇杷の木を見ながら、父を忘れないですよね。
これは、実家の玄関先にも、祖父が残したソテツの木があるんです。父も祖父の残したソテツの木は、引っ越しても植え直して残したんです。
こうゆう『人の思い』って、わからない人には、わからないんですよね。
母が植えた木の葉の部分だけ、相続の事から「越境している葉の所は、伐採して下さい」と私側から兄へ申し入れました。そして、根元からバッサリと切られました。
私から指示を出された事の、腹立たしさ、だけなんです。
まるで子供に「このオモチャ片付けてね」と、言ったら、オモチャごと壊した。の、ような意味合いです。
だから、兄の性格ってわからないんです。
植物って、生前の人の気持ちが残るんですよね。切らなければならない条件があったなら『しかたがない』と諦めもつきますが、場所的には何も無いんです。
だからショックだし悲しいし。
おじさんには『枇杷だから実がね、もし車に落ちたら(駐車場)車の持ち主も、今の時代は、うるさいのかもしれないじゃん』と、自分をなだめ、おじさんをなだめました。
おじさんも
「んなもん、ちっちぇ~実じゃね~か、誰がそんなんで、うるさく言うか?」と、私も同じ気持ちなんです。
枇杷の実が車に落ちてきた位で、車に傷なんてつかないと思います。
だけど、こう思うしかない。し、人様にはこう言うしかないんです。
数日の出来事を、整理をつけたくて、女性センターの方へ話しました。
センターの方は、以前話した時に『邪魔だったら切るわよね?そういう人もいる』と言っていました。
今回は、おじさんと共感できた事で、泣くほどに、私は安心した。スッキリした。と、話しました。
するとセンターの方も、先日ご自分の家の木を、隣の敷地に枯れ葉が落ちてしまうし、邪魔だから根元から伐採したそうで、家族から非難されたそうです。
私から、「それは家族に、理由を話して伐採したんですよね?伐採額を家族に半分払ってもらった訳ではないんですよね?何か思い出のある木でもないんですよね?」と聞きました。
それは相談をした。との事。でも思い出のある木だったから非難された。と、言っていました。
これは、私の心の中で
カウンセラーでも、人の気持ちの配慮が出来ない人もいるんだなぁ~と、思っていました。
カウンセラーの、彼女は、いつも私の叔母の話しは、よくわかります。
私の今回の枇杷の木を切った事柄は、誰の指示でやった事なのか?は、わかりませんが、もし叔母の指示で兄が言う通りに動いた。
なら、私は本当にそんな性格の叔母が見えません。
母とは、気持ちや行動が真逆だからわかりません。
カウンセラーさんは、叔母と兄は
『攻撃が、最大の防御』な人なのね。
と、言っていました。要は自分を守る為に、邪魔な人(叔母と兄の思いどうりに、出来ない人を排除する)だと言っていました。
だとすると、私と父の事が邪魔だった。
と、言う事のあらわれで。
私と父がいると、叔母等の思いどうりには出来なかった。という事ですね。と、言いました。
これ、兄なのか?
彼女が私へ「妹さんが怖い」と言っていた言葉。私の事が怖いのではなく、
私がいる事により、彼女の思いどうりにできない事が
『怖い』という事になりますよね。
これは、弁護士さんも見抜いていました。
私の頭がお花畑だったんでしょうか?
兄彼女や叔母のような性格に、出来上がってしまう位ならば、私は被害者意識をかぶり、装い、人を傷つけるような人間側には、ならなくて良かった。
お花畑の方が、よっぽどましだな。と、思いました。