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7年目になりました。
私なりに、地震で母の遺影が落ち
鴨居へ直そうとした
父が脚立から落ち、父は亡くなりました。
直接、震災とは関係ありませんが
ここは、モヤモヤするところです。
このモヤモヤも、かかえながら
この先、生きます。
今日は、テレビを見ながら
今日という日は、私も泣ける日です。
変だけど、泣けることに、安堵します。
唯一、泣ける日だから。テレビを見ながら共感できる日だから。
テレビを見ながら感じた事は
建物や物の、復興には、目がいき
人の心の復興には、全く追い付いていないのでは?
と、思いました。
全く、人それぞれの時間軸ですが
7年たって
やっと四十九日が、終わった感覚なのかな?
と見ていました。
葬儀が終わり
四十九日が終わり
一年、三年・・・
と、亡くなった人を思う時間軸ってあるけれど。
亡くなった人が、住んでいた家もなく
茶碗も箸も無く。
生前を語れる人も、いなく。
では、
残された人の気持ちを癒す
物も家族もいなく。大変過酷だと思いました。
私は、父の事を
近所のおじさんが
『ゆんちゃんのお父さんは、熱い味噌汁飲めなくてよぉ~~』と、言ってくれた一言だけでも、
あ~父の、猫舌知ってるんだ~
と、泣くほど安堵しました。
こういう共感が、無い事は
残された人も、いつまでも癒されない
だろうなぁ~
と、感じていました。